新・第二藝術論

 「英語俳句」とかいうものがある。その他西洋諸語で「ハイク」は作られているという。漢語とか朝鮮語でもあるのかどうか知らないが、あれは「俳句」ではないだろう。五七五七七という日本語の音数律で出来ているものを、ただ短く三行で書いたってそれは俳句ではない。それでは、井上靖が感心した「石英の音 カチリ 秋」も俳句、安西冬衛の「てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた」も俳句である。
 そういうことを根拠にして、世界中で俳句は作られている、すばらしい文学だなどと言うのは噴飯ものである。別に日本の俳句だってそうだが、大勢の人がやっているからいい、などというのは民主主義的な謬見である。あれは「遊び」である。「俳句はすばらしい遊びである」と言うなら分かるが、「藝術」ではない。だからやっぱり第二藝術なのである。

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『軟弱者の言い分』で、グレン・グールドは自殺ではないかと書いたのだが、宮沢淳一氏の詳細な説明を聞くと病気らしい。