外国文化研究の変

 宮下規久朗さんから送ってきた新刊新書に、古代ギリシアの女性裸体彫刻に陰毛が書いてないのは剃毛していたからだ、と書いてあったから、これはどういう論文に書いてあるのかと問い合わせたら、木村重信「ヘアとセクシュアル・トライアングル‐女性裸像の陰毛表現の有無に示される文化の表現」(『木村重信著作集』4)を示された。2000年の『美術フォーラム21』に載った「論文」だが、まったく驚くべきトンデモ論文で、バッハオーフェンが『母権論』で書いた、クリュタイムネストラオレステスが殺害したのが母権制から父権制への移行だというのを信じていて、父権制の下では女性の陰毛は剃られることになっていて、剃刀が博物館にある、と言い、ユダヤキリスト教父権制だから陰毛はルネッサンスまで描かれなかった、という。
 バッハオーフェンの論はもう1950年代にレヴィ=ストロースによって否定されたものだが、日本では80年代頃には信じている人も多く、私もその一人だったが、さすがに90年代頃までには嘘だと分かった。それを二千年になって信じているのも凄いが、剃刀があるってどこの博物館にあるのか知らないが、それ一つで、女は剃毛するものだったとどうやって証明するのか。註もついていないし、しかもこんな学者の著作集が出ているなんて、梅原猛みたいなものだ。
 その論によるなら古代ギリシアの裸像にそれが当てはまるとして、ユダヤキリスト教なんてものが一般化するのは五世紀以後であるから、時代的にもどうなっているのか。第一、ここに書いてあることが本当なら、西洋の学者による論文があるはずで、しかしそういうものは一切示されていない。宮下さんも、こんなもの祖述しなければいいのに。