沼野大人ありがとうございます。しかし「一徹」って私は私小説だけ書いているわけではないので…まあご存知ですよね。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
青江舜二郎『狩野亨吉の生涯』は、中公文庫になった際に「亨吉と性」の一章が削られてしまったので、そこだけ初版本からコピーした。ここには、生涯独身だった亨吉の、自身のオナニー記録および、千代子という若い女性との交情が描かれている。それは岩波書店の小林勇が書いたことの修正という意味あいもある。
その中に、亨吉とずっと同居していた姉久子について、亨吉が淫夢を見たとかいうところで、こうある。「われわれでさえ、その父母、きょうだい、教師とセックスをする夢を見なかったというのは、一人もいないのではないか」
そうかなあ…。私は、ないけれども。
ほかに、亨吉が結婚しなかったのは、顔が醜かったからだという青江の想像を記し、「男は本来女以上にその容貌姿勢を気にするものだ」とある。そうかなあ……。これはもう「青江舜二郎の生涯」を書くしかないね。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
筒井康隆って死刑廃止論者なのかなあ。「天の一角」とか見るとそれっぽいが、筒井さんらしくない気がする。
死刑存置論者は死刑の現場を見ろ、みたいな雰囲気。私は見てもいいが、別に見なくてもいいんではないか。ウルトラヴェジタリアンが、肉を食う奴は屠殺の現場を見ろ、みたいな感じか。
しかし私は、死刑廃止論者は出所してきた凶悪犯罪者のそばに住め、と言っているがそれはどうなんだと言われたら、そりゃ、私に、そんな必要はない、と答えればよい。新聞はいつまでも団藤重光などという、まともに本も読めない老人を引っ張り出すが、だいたい死刑廃止論者って議論に答えないからいけないのである。森達也は藤井誠二と対談本を出しているが、それは藤井を与し易しとみたからで、私に答えるつもりはないだろう。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
http://tokyo-exchange.livejournal.com/4341.html
こういうのは何ともはやだなあ。エリスってエリス俊子さんか。それなら小森陽一のところへ行けばロシヤ語で説明してくれたかも。いやあれはチェコ語か。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
http://d.hatena.ne.jp/kanimaster/20100831
私は有島武郎の『或る女』は日本近代文学中屈指の名作だと思うが、短編のほうはさっぱりである。というのは、ここにはキリスト教と、プロレタリア文学の先駆のようなものと、金持ちの家に育った有島の罪悪感があるからで、いずれも私とは縁遠いからである。
カニさんはもしや金持ちの家に育った?
カニさん「子供の頃、毎年夏休みには軽井沢の別荘に行ってました」
やっぱり!
(小谷野敦)