オオカミ少年内田ジュ先生

 話題の内田ジュ先生が、単に忙しいから休ませてほしいだけだと言っている。
このお方は、2002年いっぱいで文筆家を廃業すると朝日新聞で堂々宣言して、結局やめず、かつやめなかった理由についても説明していないウソツキジュ君である。
 こんなことを言っている。自分は書くのが常人を超えて好きであると。
「おまえのものなんか誰も読まないと言われてもじゃんじゃん書く。」
 へーホントですかーそれって「誰も読まない」と言われてるけど実は人気があるってことじゃなくてホントに誰も読まなくても書きますかジュ先生、ジュ先生って売れ始めたの50過ぎてからですよねホントに好きだったらそれまでに書いたものそうとうたまってるんじゃないですかどっかに内田ジュ20代に書いたもの大全とか30代に書いたもの大全とか40代に書いたもの大全とかあるんですか。

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今尾哲也『歌舞伎<通説>の検証』をのぞく。その昔、「曽根崎心中」に想像力豊かな珍解釈をしてその後の迷走を引きだした人だが近ごろはましになったようだが、70越した学者が「浅学菲才の身を顧みずあえていえば」なんて書いてしまうところは何とも臭みが漂う。それに、近松浄瑠璃は上演のためのもので、文学作品として鑑賞するものではないというようなことを今さら言わなければならないところに、浄瑠璃研究の辿ったある無残な行程が露呈しているとも言える。

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『ちくま』9月号に四方田犬彦の「鈴木清順監督の名言集」というのが載っている。どうも見ていると四方田が清順にからかわれているような気がするのだが、最後に、さる高級料亭の女将が、鈴木健二もこないだ来たというと清順が「あれは妾腹の弟です」と言うというのがあり、「もちろんこれは大嘘で、鈴木兄弟はともに仲良く旧制弘前高校を卒業している」と書いてある。これは四方田が書いたわけ。
 人間はしばしば、こういう非論理的な文章を書いてしまう。兄弟がともに仲良く高校を卒業するというのはどういう意味であろうか。結局は二人とも弘前高校を卒業したということしか言っていないのだが、妾腹であることとそのこととは何ら矛盾しない(もちろん、妾腹だと私が思っているわけではない)
 そういえばその『ちくま』のひし美ゆり子インタビューの連載の、8月号で「遊星より愛をこめて」のことが書いてあったのだが、あたかも「ひばく星人」って小学二年生付録の呼称以外に問題はないかの如くに書いているけど、あれ実はスペル星人のデザインも問題になってると思うんだよねえ。

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船山隆『カラー版作曲家の生涯 マーラー』(新潮文庫)に、マーラーは根なし草の意識を持っていて、晩年、ニューヨークでドイツ人ジャーナリストから国籍を問われて、ジャーナリストが期待する「ドイツ人」ではなく「ボヘミアン」と答えた、と書いてある(19p)。これ、「ボヘミア人」って言っただけじゃないのか?