谷崎潤一郎詳細年譜(昭和30年まで)

jun-jun19652005-06-21

(写真は谷崎お気に入りの女優・京マチ子)

1954(昭和29)年     69
 1月、永井荷風川端康成、藝術院会員。
   6日、夫婦連名長尾伴七宛年賀状。
   9日、熱海山王ホテルより濱本浩宛葉書、病気の由こちらも眩暈治らず、三月一杯はこちらに。
   17日、「椎本」口述終了。
   18日、伊豆山の家を皆で見にいき、決める。
   19日、「総角」開始。
   20日過ぎ、重子京都へ。
   23日、代々木本町土屋宛葉書、長々別荘拝借、この度伊豆山に家を入手、二月十日過ぎには移転。
   26日、下鴨の重子宛書簡、こちらも三日間の大雪、そちらは新居見つかった由、されどなるべくこちらにいて欲しい、明治天皇の行在所ゆえ普請もしっかりしていると大工も感心していたが意見が聞きたい、一々返事無用、それより早く帰東を。
   29日頃、重子戻る。
 2月、昭和文学全集『続・谷崎潤一郎集』を角川書店より刊行。『あまカラ』に村田良策「『すむづかり』のこと」が載り面白く読む。
   17日、「総角」口述終了。
 3月1日、ビキニの水爆実験で第五福竜丸被爆
  同月、小瀧に長男誕生、谷崎が三つの名を候補としてあげ、「潔」と命名。
   6日、「早蕨」口述終了。
   7日、遠藤力宛書簡
   16日、焼津に入港した第五福竜丸被爆報道さる。
   22日、山王ホテルより下鴨の千萬子宛書簡代筆、四月早々に帰洛、用意頼む、五日頃できるよう、いつも母がお騒がせします(?)。
   26日、同、一日に引っ越しする、郵便物は手元に置いてくれ、角川、中公、小瀧、滝澤などは承知で京都へ出している。帰洛は四日か五日。二日ほど前によしさんを帰らせる。
   31日、同、市民税のこと久保様に頼んでくれ。『新訳源氏物語』巻八刊行(紅梅−総角)。
 4月1日、熱海市伊豆山鳴沢一一三五番地(後の雪後庵)に転居。
   2日、千萬子宛書簡、八日のはとで帰る。
   4日、川口宛書簡、今度大映春琴抄映画化、少女俳優募集の噂を聞き、上山草人の娘梅代(確か十歳)お願いに行くとのこと、何とぞよろしく。
   8日(6日−伊吹)、家族一同で帰洛。
   10日、下鴨より大磯の安田靫彦宛書簡、病気のお尋ねお礼、源氏新訳に邁進。大洞台の志賀宛葉書、下洛車中で上司海雲に会った、五月入洛の由井上八千代の舞を見せたい。
   15日、嶋中宛書簡、病気快癒の由余り図に乗らぬよう先日は栗本より新宅祝いお礼。後藤宛書簡、長男結婚祝い、出席したいが帰洛多忙につき不可、祝いの品別便で、六月中旬には熱海。
   18日、後藤宛書簡、三日に亘る「趣味の手帳」拝聴、話し方が少し固くなったか、祝いの品遅れて本日あたり発送。
   21日、志賀宛書簡、一昨日入洛中の福田蘭童(49)より電話奥様病気と聞くお見舞い。
   26日、「寄木」口述終了。
 5月、「『すむづかり』贅言」を『あまカラ』に寄稿。
   1日、熱海志賀より書簡、この間は手紙とちまきお礼。康子はクモ幕下とかで二十日ほど、今日から三分間起きていいことに。熱海は大変なので東京へ移ること考えている。清水宏に多賀のほうで地所探してもらっている。五月に会うはずだったがダメになり残念、奥様によろしく。
   3日、嶋中訪問、帰京か。
   4日、嶋中宛書簡、入洛の節は。三十万円三菱銀行上京区出町支店宛願う。
   5−30日、歌舞伎座で『源氏物語』第三部上演、松緑光源氏
   17日、「東屋」口述終了。
   22日、エドワード・サイデンスティッカーより書簡。
   25日、文京区林町サイデンステッカー宛書簡、手紙拝見、蓼食ふ蟲の翻訳完成お礼、目を通すが多忙なので暫くコピー預かる。六月には熱海。
 6月、渥美清太郎編『春日とよ』に序文を寄せる。大阪歌舞伎座で「お国と五平」上演、鶴之助(現富十郎)、延二郎(三世延若)、簑助(八世三津五郎)、久保田万太郎演出。河出文庫春琴抄』刊行、解説・十返肇
   3−26日、歌舞伎座で『源氏物語』第三部再演。
   6日、恵美子熱海へ出発。
   7日、嶋中宛書簡、娘のことでお礼、昨日熱海、両三日内に上京の筈、第九巻の印税計算願う、15−20日に熱海。荷風へ謹呈の印顆届け願う。
   12日、「浮舟」口述終了。
   13日、『文藝』7月号、作家の手紙に、「谷崎潤一郎より永井荷風へ」掲載。
   14日、土屋宛葉書、二十日頃より八月まで熱海、和歌二首。
   18日、豊島与志雄死去(65)
   22日、熱海へ。
   27日、大映『春琴物語』封切、伊藤大輔監督、京マチ子主演。
   30日、『新訳源氏物語』巻九刊行(早蕨−東屋)。
 7月、風巻景次郎(47)・吉田精一(41)編『谷崎潤一郎の文学』(塙書房)刊行、内容は、「谷崎文学の性格(伊藤整) 谷崎潤一郎の文学と古典との関係(久松潜一、55) 谷崎潤一郎と西洋文学(吉田精一) 谷崎文学の展望(高田瑞穂)刺青・少年・秘密(三好行雄、23)誕生・麒麟信西(坂本浩、42) 悪魔・饒太郎・異端者の悲しみ(杉森久英) 母を恋ふる記(酒井森之介) 法成寺物語・愛すればこそ(永平和雄) 痴人の愛(佐佐木治綱) 蓼喰ふ虫・卍(伊沢元美) 吉野葛蘆刈(溝江徳明) 盲目物語・春琴抄(野田寿雄、36) 少将滋幹の母(玉井幸助、67) 細雪(風巻景次郎) 文章読本波多野完治、44) 谷崎の評論・随筆(大久保正) 谷崎の源氏(新間進一、32) 。角川文庫より『春琴抄』刊行、解説・角川源義
   8日、鳴沢より伊豆大島元村局二九妹尾宛書簡、病気全快の由めでたし、当方眩暈治らず、なお先日熱海来訪の由その際は京都にて失礼、木下さんの話は元来そういう仕事に同情なく断ったお許しを。
   9日、久保宛書簡、一枝の病気心配、病院は京都の国立だそうだがそれがいい。8月には帰る。
   11日、喜美子宛葉書、来月は上京したく、その前にお母さんとお出で、京マチ子の春琴物語観て感心一度ご覧なさい、24日朝「趣味の手帳」と8月上旬の「婦人の時間」に芥川のことを放送、ブウさんのことも出てくる。
   13日、「蜻蛉」口述終了。浦和市領家鹿島次郎・登代子宛書簡、父逝去の悔やみ。   21日、笹沼、福田屋へ来訪。
   24日、午前八時半からNHK第一放送「趣味の手帳」で嶋中と対談「芥川龍之介の思い出」。
   28日、上山草人死去(71)。「手習」口述終了。
   29日、土屋宛書簡、娘の縁談は断念するほかない、縁がなかった、八月中旬まで熱海、十二月にまた来る。
   31日、「新訳源氏物語」を脱稿。
 8月、十返肇「耽美の人・潤一郎−−谷崎潤一郎の人と作品」『文藝春秋』別冊グラビア、谷崎も寄稿。
   1日、安田宛書簡、近況、昨日源氏脱稿。
   3日、草人の葬儀、松子が列席。伏見区深草国立病院久保一枝宛書簡、中旬頃には帰る。   
   17日、帰洛。
   28日、松子より水嶋芳子宛書簡。
 9月、現代日本文学全集『谷崎潤一郎集(一)』を筑摩書房より刊行。
   1日、下鴨より第一ホテル土屋宛書簡、前川教授の件手紙お礼桑山様宛紹介状と共に前川博士宅へ持参する、娘のこと配慮お礼松子と参上返事する、和歌二首(6月14日のものとほぼ同じ)。松子より長尾宛、再度教授を頼む書簡。
   3日、後藤宛書簡、恵美子縁談につき奥様よりご高配○○様の件は結構と存じプロデューサーのような職業は気に入らぬように先日は言ったが撤回、天理まで出張の際拙宅へ寄ってくれれば詳細相談。
   5日、中村吉右衛門死去(69)。ブラジルで林が勤めている貿易会社社長が訪問。長尾の講義。 
   12日、長尾の講義、谷崎に会う、恵美子も同席。
   15日、「源氏物語の新訳を成し終へて」執筆。
   19日、長尾の講義、重子、恵美子。
   26日、長尾の講義、谷崎、郭沫若『海濤』の七言律詩について質問。
   30日、『新訳源氏物語』巻十刊行。本文はこれで終わり。サイデンより書簡。
 10月、角川書店現代日本美術全集』内容見本に「鑑賞者の一人として」を掲載。
   1日、小瀧穆が谷崎のことで笹沼家を訪問。
   2日、サイデン宛書簡、手紙拝見、ストラウス(クノプフ社長)からも11月に日本へ来ると便り、写真はこれでよし、文楽人形の絵もよし、同封返却す、英文長く拝借申し訳ない、原文と照合して少しずつ読み半分まで来たがそれについては嶋中から言う。11月にはストラウス大佛が京都へ来るあなたもどうか。「滋幹の母」九、十章の英文も見たがこちらの方がよい。
   3日、松子より水嶋芳子宛書簡。長尾が訪問、松子と恵美子は熱海で留守、谷崎に会い、郭沫若『亡命十年』を渡す。欧陽の詩についても質問。重子に講義する。
   8日、文京区竜岡町龍岡旅館羽瀬記代子宛書簡、6日付手紙拝見、先日は光来外出中失礼愚妹いせ世話になる、天子様に文化勲章頂いた際の和歌二首短冊お届けするので渡してくれ。伊勢の夫林はサンパウロの羽瀬商店に勤めていた。羽瀬記代子はその関係者。   10日、「源氏物語の新訳を成し終へて」を『中央公論』11月号に掲載。長尾来訪、重子に講義。
   13日、後藤宛、娘のことで再々お世話、本月末入洛なら詳細相談したく、○○様へもよろしく取りなし願う。
   15日、羽瀬宛書簡、短冊と写真いせにお渡し願う。
   16日、長尾、豹軒鈴木虎雄を訪問、不明点を質問する。
   17日、長尾来訪、松子は戻っているが恵美子は熱海。松子と重子に講義。谷崎に回答を示す。漱石の画帖を見せる。
   ?日、「老俳優の思ひ出(上山草人のこと)」を『別冊文藝春秋』に掲載。
   21日、嶋中宛書簡、中央公論新年号の材料決まり「或る日記の抜粋」、一二月分載になるかもしれず、ストラウス入洛の際一緒に来ては如何、源氏十一、十二の校正は滝澤に頼みたい。
   24日、東山区今熊野南日吉町ドナルド・キーン(満26)宛葉書、手紙拝見、『文藝』11月号座談会気にしていない安心を、近々ストラウスが来る。
   25日、長尾講義。重子恵美子。
 11月、『辻留の茶懐石の話』に「お茶懐石の粋」を寄稿。
   1日、長尾講義、重子恵美子、布施が来診、南禅寺を見るというので案内に松子中座。
   3日、鏑木清方高浜虚子文化勲章受章。
   「妻を語る」を『週刊朝日』14日号に掲載。
   9日、長尾講義、たをりに会う。親戚の早大の学生「明さん」。
   16日、京都朝日会館のアラスカで、新訳源氏物語完成祝賀会。
   18日、長尾講義、恵美子は熱海、重子。長尾、文化勲章を見る。
   23日、キーンが狂言に出るので松子と伊吹観に行く。「この広い空のどこかに」(小林正樹高峰秀子)封切、観る。
   24日、長尾講義。
   30日、熱海へ。
 12月2日、久保宛葉書、日本文学大辞典、続々群書類従荷風全集発送頼む。
   5日、『潤一郎新訳源氏物語』巻十一、十二刊行、完結。
   10日、「老ひのくりこと」を『中央公論』新年号に掲載。福田清人(51)が来訪、『十五人の作家との対話』収録の対談を行う。鳴沢より松子の長尾宛書簡、右京区花園馬代町山城高校、熱海へ来た、孟浩然よく味わっています。
   11日、鳴沢より港区高輪南町巌谷榮二宛書簡、『少年世界』貸与お礼、「幼少時代」の資料に使う。
   同月、祇園一力で源氏完成の祝宴、嶋中、滝沢、玉上、榎、宮地、大河内久男(画家)。   
   13日、「幼少時代」のことで笹沼に電話で質問。
   18日、松子より長尾宛書簡、谷崎はラジオ等多忙、『中央公論』新年号見たか。
   19日、後藤宛、25日お出でなら泊夫人同伴如何。
   24日、千代田区富士見町角川源義宛書簡、三十万受け取る云々。
   25日、後藤末雄来訪か。
   26日、ラジオ東京の「新春座談会」収録。司会辰野、志賀・吉井。志賀が、歌右衛門が来ると安倍能成が赤くなると小宮が言ったという発言を、同日担当の大森直道宛速達で削除願う。院長について学生が何言うか分からず。
  また元日『京都新聞』用の十返肇との対談あり。
 この年、方紀生編『周作人先生のこと』(光風館)に、「きのふけふ」の一部が「冷静と幽間」と題されて収録される。この年京都で伊藤整と初対面。

1955(昭和30)年         70
 1月1日、午後11時から40分、ラジオ東京で志賀、吉井との新春座談会放送。『京都新聞』に十返との「新春放談」掲載。
   3日、午前11時から40分、NHK第一で吉井、後藤との新春座談会放送。
   6日、鳴沢より喜美子宛葉書、手紙拝見、正月中に来てもらいたいが、いま鮎子一家が来ていて十日からは京都の孫どもが来る引き上げるのは中旬くらい、その時は知らせる。
   8日、田中絹代監督『月は上りぬ』封切、観る。
   『中央公論』2月号で武智と「舞台芸術うらおもて」。
   17日、近くで山火事、谷崎は富士屋ホテルへ避難。
   23日、熱海に志賀を訪ねて九里の遺作を売る相談。梅原、武者小路、里見、広津、山内金三郎で三万ずつ出し合う。谷崎は和田三造に話したがまだ返事がない。
   27日、笹沼夫妻と喜美子来て一泊。
   28日、濱本宛葉書、二月中旬来訪待つ、改造社の○○は戦後すっかり人が変わり、実彦亡き後の改造社には関心なし。
 2月、「『蓼食ふ蟲』を書いたころのこと」を『朝日新聞』に掲載。「伊藤整全集推薦文」を内容見本に寄せる。精二、葛西善蔵評伝『放浪の作家』を現代社より刊行。『早稲田文学』に連載したもの。
   4日、松子より長尾宛書簡、「老いのくりごと」に引用された欧陽予倩の詩の訓点に誤りがあるというので、教えてくれと。
   6日、「創作余談」を『毎日新聞』に掲載。
   10日、サイデンステッカー、『文藝春秋』3月号に随筆。
   16日付、川田の書簡、新訳完成祝、「創作余談」読み大兄にしまつたと言わせたのは一生の記念、令室の歌は心の花で拝見、妻の弟同志社大生は時代祭に参加、田村麿将軍の歩卒、中川の長男は慶応に入学、うちから通っている、次女は近くの中学に入れた。あの節はお世話に。
   19日、サイデンスティッカー宛書簡、12日東京タイムスのあなたの記事切り抜いて送ってくれた人がいる、あなたのように分かってくれる人が日本にはいない、文春三月号の記事も見た、三月中はこちらにいる、四月入洛。
   22日、長尾宛松子書簡、長尾が鈴木虎雄(78)に教えられた正しい読み方教示の礼。
   27−28日、長尾が同僚らと伊豆海館から松子に葉書を出すが、谷崎邸には立ち寄らず。
   28日、鮑耀明より京都宛書簡。松子より長尾宛書簡、「東海道のどこかで葉書が入れ違った」
 3月1日、一枝宛書簡、無事退院おめでとう、しばらくはゆっくり養生を。
   2日、八重洲香港工商日報鮑宛葉書、28日付書面拝見、今月中はここにいるが十日から二三日不在、面会してもいいが用件知らせてくれ、電話はなるべく午前中に。
   9日、日比谷公会堂オイストラフのヴァイオリン独奏会に、松子恵美子重子鮎子と行き、宗一郎夫妻に会う。長尾より松子宛書簡、郭沫若に直接質問の葉書を出したら返事が来たので同封。
   10日、「幼少時代」を『文藝春秋』4月号より連載(31年3月完結)、談話「映画のことなど」を『新潮』4月号より掲載。文京区駒込林町三橋鉄太郎宛書簡、祖父の主人だった釜六についての質問への答え。三橋は東大工学部教授で、福田清人『十五人の作家との対話』で谷崎家のことを知り谷崎の祖父の主人について教えてくれた。二、三日の上京は眩暈を直すための鍼治療(成城の平方龍男)。
   13日、松子、喜代子登代子喜美子で芝居。勘三郎歌右衛門
   18日、松子より長尾宛書簡、鍼治療効果あったこと。
   28日、宗一郎夫婦と園田高弘のピアノ・リサイタルをサンケイホールで。福田屋へ。
   30日、目黒区三谷町鮑耀明宛葉書、本日食経第一−第七集二部ずつ頂く、お礼。
  同月、明治座へ行く。 
 4月、玉上琢弥『源氏物語の引き歌』に序を寄せる。東京宝塚劇場再開、根津清太郎、寮の管理人となる。
   1日から5月15日まで都踊り『舞扇源氏物語』に監修を務める。
   2日、鮑宛書簡、十万円という値は将来の作家への影響を考えて嶋中が決めたものだろう、減額は可能かと(翻訳のこと?)。
   4日、ウェイリーより、『新訳源氏』中公から貰ったお礼。
   13日、鮑耀明宛書簡、では嶋中と相談し返事はそちらより。16日から京都、6月十日頃まで滞在、その後は秋ごろまで熱海。ウーロン茶はまだ届かず。
   16日、午後帰洛。
   18日、イタリアのヘルマ・ブロック・ド=ギロンコリ(Helma Brock de Gironcoli、1969年にクービンの恋人宛手紙の編集をミラノで刊行している)という女性が京大伊文科教授野上素一(46)を通訳として来訪、陰翳礼賛をサイデンの英訳で知ったと言っていろいろ話す、蓼食ふ蟲も出たら送ってくれと。
   19日、サイデン宛書簡、アトランティックマンスリー拝受、昨日のこと、ストラウスからも出版したと通知早く見たい、キーンの批評紹介も見たい。
   21日、鮑宛書簡、烏龍茶平岡から貰ったお礼、嶋中は多忙なので催促してくれ。
   22日、後藤宛葉書、手紙拝見、私の病気に影響などと馬鹿なことは考えなくてよし、恵美子次の話は暫く当人を休養させたくまた熱海へ行ったら考える。
 この頃、松子と重子が河原町の京劇で映画『裸の女神』を観る。
 再び伊吹和子を呼び、愛蔵本の点検を頼む。
 5月、『文藝』で今日出海との対談「文藝訪問」。
   5日、長尾講義。松子曰く、長尾が漢詩の解説を書いて送っているのを泉名月にも送っている。名月は鏡花の養女で24くらい、童話を書いているがみみずやとかげやもぐらが出てくる、指導を頼まれたが中勘助に預けている。
   「私の「幼少時代」について」を『心』6月号に寄稿。
   9日、京都麩屋町柊屋滞在中の志賀が来訪、嶋中、キーンも来ており、キーン帰国の送別会を兼ねて辻留のご馳走で祇園の芸子舞妓の舞を見る。
   10日、志賀、上司海雲、入江泰吉とともに吉井を訪ねる。(志賀書簡)
   18日、都新聞夕刊一面に、郭からの手紙のことが出る。
   26日、佐佐木信綱、潺湲亭を訪問。高折夫人同席。
   27日、嵐山の大堰川での古代裂流しの供養に、松子と城戸崎夫人が信綱一行と船を並べた。志賀から常磐松への転居通知、今熱海ホテルであさってから東京の住人になる。   29日、「武州公秘話」打ち合わせに松竹高橋常務と円地文子が訪問。
   30日、都新聞に「藝能界に谷崎ブーム」の記事。
 6月、南座で『春琴抄』上演。角川文庫より『刺青・少年』刊行、解説・十返肇。同じく『盲目物語・聞書抄』、解説・井上靖
   1日、帰途につく信綱を京都駅で見送る。松子、新村、富岡とし子、藤田富子、鈴鹿三七と。
   2日、長尾宛松子より質問の速達。
   4日、大阪三越劇場で関西オペラ公演、武智演出「白狐の湯」、狐の入浴シーンに裸が出る。谷崎は京都で稽古に立合う。同日から28日まで歌舞伎座夜の部で、円地文子脚色、久保田演出『武州公秘話』、海老蔵主演。長尾訪問、谷崎に会い話す。  
   10日前後、熱海へか。
   21日、荷風原作、久松静児監督『渡り鳥いつ帰る』(田中絹代、森繁、高峰、淡路、茉莉子)封切、淡路を褒める。
   22日、嶋中とともに荷風宅訪問。
   23日、松本佐多死去(83)。
   25日、勝見豊次宛書簡、二十日付書面今日拝見、詳細な蠣殻町図面お礼。勝見は南茅場町の袋物商勝見商店の末子。
   29日、三橋宛書簡、手紙拝見、釣鐘鋳造の浮世絵写真是非見たい、香取家にあるガリ版も見たいが手づるがないので未亡人に話してくれないか。
   30日、巌谷栄二宛書簡、借りていた少年世界と太陽ご入用とのことで返すがまた必要の際は借りる少々傷んでいるがこの次修繕する。
 7月、四世富十郎「矢車会」旗揚げ公演で「法成寺物語」上演、東宝歌舞伎歌右衛門長谷川一夫扇雀の『盲目物語』。古川緑波『ロツパ食談』に寄書。角川文庫より『陰翳礼讃』刊行、解説・サイデンステッカー。同月、「中央公論」で綱淵謙錠(32)が担当となる。
   5日から29日まで歌舞伎座で「十五夜物語」上演、久保田演出、筋書きに「「十五夜物語」の思ひ出」を寄せる。
   7日、松子の長尾宛書簡、谷崎より漢詩についての質問。
   10日、伊吹宛書簡、浮舟を身投げさせたのが誰のもののけかについて山田と玉上の意見が違った件で、玉上が気にしているなら仙台行の旅費くらい中公から出させる。
   中旬から、渡辺一家来るか。
   16日、久保宛封書、新聞広告切り抜きで注文、「日本のむかし話」「故事成語諺語集解」、「国語と国文学」毎号頼む。   
   28日、三橋宛書簡、浮世絵写真お礼、これで釜六の様子よく分かり祖父がここの総番頭だったかと思うと感慨。
 この間にサイデンスティッカー訳Some Prefers Nettles、Knopf から刊行。
 8月、『銀座百点』に、保坂幸治との対談「われらのティーン・エイジャー−中学生の頃−」。角川文庫より『卍』刊行、解説・十返肇
   3日、川田宛書簡、昔「少年世界」に河山人の名で「乞食王子」を翻訳した川田鷹は関係者か(順の長兄の筆名)。
   4日、久保夫妻宛書簡、サルトル全集「実存主義とは何か」注文。   
   8日、朝いでゆで上京、重子恵美子。福田屋。恵美子の結婚衣裳、道具を京橋倉庫に預ける。丸の内日活で「青い大陸」(クストー)を観る。松子重子を連れて日劇ミュージックホールで「誘惑の愉しみ」を観る。春川ますみに魅せられる。
   9日、嶋中を訪問か。日比谷映画でヨシと一緒に「悪魔のような女」(クルーゾ−)を観る。
   11日、嶋中宛書簡、税のこと分納で頼む、記念号のことだが九月脱稿は無理、新年号で頼む、九月には「渡り鳥」批評で勘弁してくれ急かさないで。
   12日、千葉県山武郡九十九里町サイデン宛書簡、先日角川文庫「陰翳礼賛」のあなたの解説を読めと言う人がいたので読んだ、知己を得た思い、細雪もいずれ翻訳願う。長尾宛書簡、いろいろ妻を通じて教示に与りお礼、「辞海」が欲しい、佩文韻府は手に入るか、また戚夫人の人ぶたの字について(「過酸化マンガン」に使う)
   18日、長尾宛書簡、教示恐縮、辞海入手お礼。京都留守の伊吹より書簡。
   19日、伊吹宛書簡、少年向け源氏については改めて考える。
   21日、玉上、仙台へ行って山田孝雄に会い、議論の末自説を認めさせる。
   23日、伊吹宛書簡、玉上の引歌の本はこちらで発見、催馬楽は信綱校訂のと岩波文庫と二つ京都にあった筈だがないとすると困る。長尾宛書簡、重ねて御示教お礼。
   25日、嶋中宛書簡、先日はメーゾンシドご馳走お礼、今月中に特製本源氏の修正、来月から記念号の原稿、24、5日脱稿、新年号の創作は二、三回の連載に。29日以降熱海へお出ででないか。
   26日、伊吹宛葉書、「おさな源氏」のこと玉上に訊いてくれ、図書館ででも見て梗概を送ってくれ。
   28日、喜美子宛葉書、手紙拝見、九月の演舞場は行かない「無明と愛染」は嫌い。歌舞伎も吉右衛門好みの出し物多く観る気にならない、今月は東横ホールだけ観た、福助(現中村芝翫)と我童の出る東横夜の部を涼しくなったら観に行く、梅幸より福助が有望。
 9月1日、伊吹宛書簡、31日手紙拝見、おさな源氏を京阪書房で探してくれ、活版がいい、一誠堂にも訊いてみる。
   13日、豊田四郎夫婦善哉」封切、観るが感心せず。
   24日、軽井沢の志賀より伊豆山へ書簡、東京まだ落ち着かずあちこち旅に出ているが熱海懐かし、九里未亡人東京へ来て飯田で遺作展をやるというので色紙をあげたが君も頼む、信濃毎日の切り抜き送る、軽井沢は27日に引き上げ、奥様恵美子さんによろしく。   26日、渋谷区常盤松の志賀宛葉書、新聞切り抜お礼、色紙の件承知、一度新居拝見にと思いつつ。伊吹宛葉書、手紙お礼十月上旬に帰洛相談。
   28日、志賀宛葉書、色紙二葉別便で。九里未亡人によろしく。
 10月、『谷崎潤一郎新訳源氏物語』全五巻愛蔵版を中央公論社から刊行。各帖毎に挿絵挿入、安田、小倉、前田のほかは、奥村土牛(67)、福田平八郎(64)、堂本印象(65)、山口逢春(63)、中村岳陵(66)、菊池契月(9月9日死去)、徳岡神泉(60)、太田聴雨(60)、中村貞以(56)、山本丘人(56)、橋本明治(52)、題簽は尾上柴舟、装幀は田中親美(81)。精二、文化勲章受章者選考審査委員会委員となる。
   3日、志賀から九里花子宛葉書に、谷崎君色紙二枚と書いたが一枚は私のと気づいた。
   7日、三橋宛書簡、3日付熱海宛書面拝見、細々と報告お礼、11月中旬熱海へ行くので上京、釜屋堀付近へ行き貴殿太田氏に会いたいが老年ゆえ具合のいい時を選ばねばならず。「幼少時代」は近々文春より刊行。
   10日、「過酸化満俺水の夢(過酸化マンガン水の夢)」を『中央公論』11月号に発表。この頃帰洛。
   11日、「青銅の基督」(渋谷実)封切、観て山田五十鈴に感心。
   中旬、『鍵』第一回分を中公に渡す。この頃伊吹、仕事の辞退を申し出る。
   18日、泉川へ東京から志賀の書簡、色紙のうち「川到」は私宛と思い貰った、『心』に写真にして出し解説は辰野に頼んだ。勝手にやっていけなければ電報くれ。こないだは松たけお礼。エルマンの切符を貴美子にいただきお礼。
   21日、川田宛葉書、『中央公論』見て心配の由便通は云々、来月熱海へ。
   23日、野村芳太郎『太陽は日々に新たなり』封切、岸恵子有馬稲子。有馬に感心。
   30日、新潮文庫より『細雪』全三冊刊行、解説河盛好蔵
 11月、精二、『教壇生活三十年』を東方新書より刊行。
   1日、「人生とんぼ返り」(森繁)封切、観る。
   4日、上京、中央公論創業七十周年記念式典、歌舞伎座で。祝辞を述べるか。
   5日、同記念東京愛読者大会をサンケイホールで、「マンドリンを弾く男」初演。演出武智鉄二
   6日、NHKテレビの収録。笹沼千代子が同伴。
   7日、濱本宛葉書、四日会えず残念、肝臓炎は厄介な病気。一度熱海へ。淀川宛、福田家より。今東京で明日熱海、手紙の件で電話頼む。
   8日、吉井の「祇園は恋し寝るときも」の歌碑が祇園新橋白川橋畔に立ち除幕式。谷崎は香雪軒にこれを拓本にとらせる。
   19日、左京区北白川仕伏町千萬子宛葉書、大したことなかった由、高折家でも心配したでしょう、源氏愛蔵本二冊送る、署名は帰ってから。
   23日、夜九時十五分からNHKテレビで佐々木茂索との対談「谷崎潤一郎夜話」放送。
 12月6日、帝国ホテルに郭沫若を訪問、内山完造と朝日新聞論説主幹白石凡が同席。松竹『胸より胸に』封切、家城巳代治監督、高見順原作、有馬稲子主演。
   7日、朝日新聞朝刊に「郭沫若氏対談谷崎潤一郎氏 大いに語る三時間」掲載。同日、熱海より長尾宛書簡、郭の漢詩に訓を付け訂正を請う。映画世界社橘弘一郎宛葉書、蓼食ふ蟲六部集箱入り本お礼、あれは創元社で作ったものだが自分も一箱しか持っていない、「胸より胸に」熱海へ来るの楽しみにしていると有馬稲子に伝えてくれ。
   8日、谷崎と松子より長尾宛書簡、郭に貰った漢詩の解説を頼む。戦時中日本に残した家族を託した岩波茂雄に捧げたもの。
   10日、「鍵」第一回、『中央公論』新年号に発表。談話「東京の正月」を『文藝』1月号に掲載。同誌グラビア「幼な友達」に、福田屋で撮影した谷崎と笹沼の写真、笹沼の文章掲載。
   11日、長尾の返事。
   12日、長尾宛書簡、お礼。
   17日、後藤宛葉書、肺炎だと知らず見舞いせず失礼、伊東行はやめなさい。
   19日、吉井より書簡、癌の疑いで入院していた。歌会始には是非出席したい。明日上京するが選者会議の後すぐ帰洛、会えずに残念。
   21日、伊藤大輔監督『元禄美少年録』封切、中村賀津雄、淡路恵子、観る。
   24日、久保宛書簡、たをりらが帰ったら竹田の者らが来る。「新潮世界文学全集総目録」「弁証法はどういう科学か」「原子と人間」湯川秀樹、注文。
 この年、紅琳『人魚的悲恋』(台中、中央書局)刊行。新樹社から限定版署名本『蓼喰ふ虫』刊行。