谷崎潤一郎詳細年譜(昭和26年まで)

jun-jun19652005-06-19

(写真は近作映画「卍」で好演した秋桜子)

1950(昭和25)年        65
 1月、「A夫人の手紙」を『中央公論』別冊文藝特集に発表。「金と銀」を『小説世界』に再掲載。「『蘆刈』など」を『展望』に掲載。荷風、「買出し」を『中央公論』に発表、賛嘆(「早春雑記」)
   3日、『処女宝』(島耕二、高峰秀子出演)封切、熱海でちょっと観る。
 同月榎、曼殊院で山口光円から元山大師の事跡を聞く。
   8日、新東宝『暁の脱走』封切、監督谷口千吉、原作田村泰次郎
   10日、NHKラジオで山本安英(45)による『細雪』朗読放送。
   16日、笹沼喜代子と会う。
   17日、築地本願寺で嶋中雄作一周忌。石橋湛山に会う。能楽評論家・沼艸雨より書簡、富久子破門の件、谷崎の書面を貰い、大阪観世会に仲介頼んで解決、お礼詳しくは南条から聞いてくれ。
   20日、久保宛書簡、先達はご苦労、先日上京し宮本に会い税金のこと依頼、樋口宛紹介名刺封入、音楽全集声楽の部は不要器楽の方は全部要るベートーヴェンピアノソナタも出たはず、熱海の家は3月移転、下鴨の隣家藤井30万円要求の由そんなに出せず、嫌なら調停裁判。鏡花未亡人すず死去、70歳。
   21日、すず半通夜に行く。
   22日、すず葬儀。
   26日、久保宛葉書、税金のこと、カシワ送ってくれるよう西田に。 
 2月、熱海市仲田八〇五番に別邸(前の雪後庵)を購入。元日銀の麻生邸。「早春雑記」執筆。
   5日、山王ホテルから安田宛葉書、いずれ小倉とともに行く、毎日新聞から連絡あるはず。茂山千作死去(86)。『毎日新聞』に「茂山千作翁を悼む」を掲載。
   6、7日、松竹招待で四人(松子恵美子重子)で歌舞伎見物、7日夕は食事(歌舞伎座はまだ再建されず)。新派の井上正夫死去(70)。
   10日、熱海で和辻と対談。
   13日、熱海市西山立石の佐佐木信綱(79)宛書簡、小説引用の和歌につきご注意ありがたく早速行くべきだが三日ほど上京、その後伺う。
   16日、一枝宛葉書、3日ほどで帰り歯の治療。 
   19日、中公宮本宛書簡、来月上旬一寸帰洛、家の明け渡し修繕で金必要、25日頃、京都久保宛十五万、熱海駿河銀行口座に百三十万お願い。明け渡しは28日頃、三月に入るとまた金必要になる。
   20日、熱海で和辻と対談。 
   25日、西田宛葉書、酒粕の礼、三月十日頃帰洛。土屋宛葉書、手紙お礼、それではぽうとわいんを取っておいて届けてくれるとありがたい。一枝宛書簡、移転は遅れて来月7日、京都へは10日頃。
 3月、『月と狂言師』を中央公論社から刊行。受章の思い出を歌った「新春試筆」を『心』に発表。「『暁の脱走』を見る」を『東京新聞』に掲載。『婦人公論』で「細雪の世界」高峰、阿部豊。『婦人画報』で「谷崎潤一郎先生を囲む熱海の一日」、福島葉子、前田肥富子、青木経子、栗島寿子、北原りえ子。日夏耿之介『谷崎文学』(朝日新聞社)刊行。
   女中の小夜、続いて節が雇われる(「台所太平記」)
   1日、江藤喜美子宛葉書、先日の歌舞伎のこと、いずれ皆で熱海へ来ないか、十日過ぎ頃。
   3日、与野に一泊。
   4日、東京へ、千代子ら送る。
   6日、一枝宛書簡、明日移転、ようやく京都へ帰れる、歯が痛くて。保坂宛葉書
   7日、雪後庵への移転開始。
   9日、移転完了、夏冬をそこで過ごすことが多くなる。夜十時、大塚常吉危篤(又は死去)の電報。
   10日、宮本宛書簡、新住所、鮎子土地家屋購入費用至急必要なので小切手で二十万送ってくれ、こちらもあと二三十万請求予定、『月と狂言師』挿絵に使った内田巖肖像は熱海へ返して、前田文六に細雪の箱残りを送って、「月と狂言師」出来たら熱海と京都へ十部ずつ頼む。同日、大塚死去の報を受け笹沼京都へ向かう。
   10日頃? 「早春雑感」を『改造』4月号に掲載。『中央公論』で和辻と「旧友対談」。
   11日、大塚の訃報を聞いてつばめで帰洛。夕食中に酔った笹沼(虎のぶうさん)から電話、午後9時から一時間弔問。
   12日、笹沼喜代子宛葉書、大塚訃報に驚く、ぶうさん呂律回らず、九時頃出掛けて逃げてきた、あまり虎を一人で野に放たぬよう、夜具布団熱海へ送ってくれ。同日喜代子も京都へ。日帰り。午後六時頃、谷崎は自宅で飲まれることを恐れ、吉初へ笹沼、河村と同行、午後十時、笹沼を残して帰宅。笹沼は吉初に泊。
   13日、笹沼、大塚方へ寄ってからつばめで帰宅。
   19日、下鴨から喜美子宛書簡、先日の笹沼の大酒ぶりを報じ、その健康を案じた長い手紙で、来月夫婦で来たときは大塚墓前で節酒を誓ってほしい、本人に言うべきだがあなたに言う。
   20日、宮本宛書簡、金のことと今後の予定。
   24日、喜美子から手紙。
   26日、喜美子宛書簡、手紙ありがたし一時でも父上に恥辱を与え申し訳ない、今後の予定。
   27日頃、熱海へか。
   31日、上京、午後四時から銀座千疋屋で佐藤観次郎と荷風に会う。荷風、中途で会った元ロック座女優戸川まゆみを連れてくる。江戸見坂下旅館に至って十時まで。福田家泊か。
 同月、英男、東大大学院中退。
 4月、『京の夢大阪の夢』を日本交通公社出版部より刊行。『主婦の友』で石坂洋次郎(56)と「春宵対談」。
   小夜は仲田へ移る。
   3日、熱海から津島宛書簡、ご案内ありがたくしかし欠席、移転通知、『月と狂言師』を送る、今度上京の折伺う、一度熱海へ。
   5日、与野に泊。
   6日、笹沼と東京へ。
   9日、宮本宛書簡、金のこと、明日五十万帝銀へ振込願う、今後の予定、月末また四五十万頼む、栗本社長によろしく。
   12日、つばめで帰洛か。
   13日、払暁熱海大火災、別荘は梅と小夜が留守居、類焼を免れる。梅が癲癇の発作を起こす。
   15日、木村荘太自殺(62)。夫人元子宛悔やみ状を書く。
   23日、宮本宛書簡、火災の際は見舞いお礼、今後の予定。
   27日頃、熱海へか。
 5月3日、熱海から嶋中と宮本宛葉書、5日社を訪問。
   この頃三田直子、松五郎と梅代を連れて熱海へ来訪、草人と和解。
   5日、中央公論社か。
   6日、天野貞祐、文部大臣に就任。
   14日、下鴨より奈良市東大寺観音院気付志賀宛葉書、奈良で高峰秀子に会った由当人から聞いた、一度お出でを、吉井も招いて宴、九里は信州で残念。
 同月、元山大師の母の古跡を取材に雄琴の千野を訪ねる。
   17日、新東宝細雪』封切。阿部豊監督、山根寿子、轟夕起子高峰秀子
   20日岩波文庫『卍』刊行。
   21日、下鴨より市川市菅野の荷風宛書簡、先日は久しぶりに拝眉、中公より荷風全集刊行会編集委員を頼まれ引き受けた。
   24日、宮本宛書簡、映画細雪大当たりの由私たちも満員でなかなか入場できず家族ら二週目にようやく観た、金のこと、十日頃熱海、中旬上京。
   祇園の中村楼に天野を呼んで新仮名遣い論を戦わす。
   27日、志賀宛葉書、30日待っている、吉井も来る、裁判の件東京の新聞にも出た、次回は6月13日召喚状来ている。そちらはどうか、会って相談。
   30日、自宅で志賀、吉井と会食か。木村艸太自伝『魔の宴−−前五十年文学生活の回送』朝日新聞社より刊行。
 6月、『飆風』(発禁作品集)を啓明社より、現代小説大系第三八巻「新現実主義第8 荷風・谷崎』を河出書房より刊行。
   1日、清治宛書簡、小切手三万円同封、印をして松子名義にしておいて使いなさい。印の場所はシヅが知っている。(八木)
   3日、宮本宛書簡、入金確認、映画好評で原作売れているが増刷大丈夫か。
   10日、熱海へか。この日付で、17日に木村荘太慰霊懇談会を開く案内状の発起人として猪熊弦一郎、片山敏彦、式場隆三郎と名を連ねるが、当日は都合つかず。
   17日、榎入院、後任の推薦を新村に頼み、特別研究生宮地裕(26)が入る。
   20日、熱海より嶋中宛葉書、内田巖に『月と狂言師』届いていない、至急贈呈頼む、三日の藍亭の会は何時だったか。
   23日、電気冷蔵庫据え付け。
   24日、宮本宛書簡、27日参上するので金用意頼む、30日迄に二十万円振込頼む。
   25日、朝鮮戦争勃発。紙の確保を危ぶみ、中央公論社、「源氏」刊行を急ぐ。
   29日、一枝宛書簡、職人入ったり客来たりで多忙、茂山千五郎が今日来て明日一緒に上京、そのあと鮎子来る。
 7月より、『谷崎潤一郎作品集』全九巻を創元社から刊行(26年1月完結)。辻嘉一(44)『懐石料理(櫨篇)』に序を寄せる。『文学会議』が谷崎潤一郎特輯。
  新生新派が東京劇場で「細雪」上演。 
   3日、藍亭での会?
   5日、江藤義成・哲也・喜美子・笹沼、熱海へ、二泊。
   9日、一枝宛書簡、13日夜行で帰る、みな疲れているから下鴨で待っていて。
   10日、哲也宛葉書、先日は。その節の人物のこと近眼というのが気になるどの程度か調べてほしい。
   11日、宮本宛書簡、熱海では今日から細雪上映、もう一度観に行く、嶋中来訪なら金持ってきてほしい、あと振込願う。
   13日、夜行で帰洛。
   17日、宮本宛書簡、金のこと。
   29日、宮本宛葉書、金の礼。
 8月、『少将滋幹の母』を毎日新聞社より刊行、挿絵小倉遊亀。同月南座で、武智鉄二、『恐怖時代』を歌舞伎仕立て血みどろの演出で上演、谷崎の高い評価を得る。扇雀、鶴之助。奥村夫妻、武智と同道。
  『芸術新潮』で「新しい魅力」高峰、谷口千吉
   8日、春日大社滞在中の今東光を呼び出し、山口・曼殊院門跡と武者小路千家へ行き京都に泊。
   9日、東光と比叡山雄琴、乳野をまわり二人で琵琶湖畔で一泊。雄琴・法光寺の善村良忠住職が鮒寿司を持って訪ねてくる。
   19日以前、熱海へ。
   20日新潮文庫より『刺青』刊行、解説河盛好蔵(49)。熱海より下鴨の留守の石松美輝子宛書簡、かねは今夜到着、留守番寂しいだろうが頼む、表具屋佐々木祥雄(墨彩堂、50)に頼んだものまだ来ないので尋ねてくれ、その他。
   30日、永代宝工藝株式会社宛書簡、見積書設計図拝見、ヒキダシ金具および用材は楠のこと。美輝子宛葉書、守尾という人から箱入掛軸をそちらへ送ったので書斎へ入れておいて。一枝宛書簡、京都留守はキミとおみきさんだけ、時々見に行って。滋幹母特製本できたので送る。岩波文庫吉野葛春琴抄』刊行、解説・水上滝太郎
 9月、『中央公論 文芸特集』で座談会「女と感覚の世界」川田、無想庵。
  精二(60)、日本学術会議第一期会員となる。
  「元山大師の母」脱稿。
   5日、野村尚吾宛葉書、滋幹の母三十名分送った寄贈よろしく。一枝宛書簡、ジェーン台風被害の模様尋ねて見舞い。
   7日、美輝子宛書簡、昨日君と清治から手紙が来て被害程度分かった下鴨は別状ないそうで、女中のことは行き違いに清治へ手紙出したがなるべく京都人で小学校以上の人がいいが君のいう岐阜の人に会ってみてもいい、たった今カネへ君の手紙が届き大阪のおみきおばさんの家が無事と分かったが、おばさん私たちが帰るまで大阪へ行かないでほしい、あと十日か半月で帰る。
   12日、明船町(福田屋?)から一枝宛書簡、早く地所が手に入って立派な書店になるといい、君らが旦那さんとおかみさんになるのを見たい。   
   14日、宝工藝から手紙。
   15日、熱海へ帰るか。    
   17日、美輝子宛葉書、二十日はとで帰る用意願う。一枝宛、同。
   18日、宝工藝安平輔宛葉書、書面拝見二十日京都へ帰り十月上旬また来るのでその際金具見るが京都へ送ってくれてもよし。
   20日、はとで帰洛か。
   23日、安宛葉書、帰洛した、留守の間に取り付けてくれ、金具京都へ送るよう。
   30日、安宛書簡、金具これでよし、十月末熱海、請求書云々。
 10月5日、嶋中宛葉書、手紙小包貰う、十一日待っている。
   7日、川崎市稲葉ちよ宛葉書、手紙熱海より回送された懐かし、一度剛様と遊びにおいで、近著別便で送る。
   11日、土屋宛葉書、滋幹展覧会はその後梅田阪急ビルで開催、十日終了したので返却するはず、新聞社へ問い合わせ願う。同日、嶋中来訪か。
   19日、土屋宛葉書、滋幹原稿は柚女史より受け取ったと思う、月末入洛の由、我等月末熱海へ行くので行き違いにならぬよう。
   21日、喜美子宛葉書、新橋演舞場の東おどりは四日と決定これは変更不可能なので今回は別々、五日遺稿熱海にいるので喜代子来てほしい、今後予定。
   28日、ピアニストのラザール・レヴィ(68)、毎日新聞社の招きで来日、日比谷音楽堂で演奏。
   31日、松子より世田谷区深沢中乃庄谷三次郎方水島芳子宛書簡、夫婦とも風邪で熱海行き延期。
 11月、「少年の頃」を『主婦の友』に掲載。新橋演舞場の東おどりに夜の部で舟橋聖一脚色演出による『少将滋幹の母』上演。
  佐藤春夫夫婦、文京区関口へ戻る。
  この頃、レヴィの京都での演奏会の後、レヴィ夫妻、原智恵子、安川加寿子が谷崎邸を来訪、高折千萬子(20)が手伝いに来る。同志社大学英文科三回生。
   13日、鷲尾洋三夫婦、姪千昌(九歳)を養女とする。
   16日、熱海へ。
   17日、熱海より津島宛書簡、お誘いありがたし、だが高血圧で医師よりあまり上京せぬよう言われている。是非一度君島笹沼らと熱海へお出で。今後の予定。
   19日、土屋宛葉書、先日入洛の際は。お願いあり23日午後二時すぎ行く。
   20日新橋演舞場の東おどりに喜代子、登美子、喜美子、千代子を招待、松子と。銀座ナンシーで夕食。
   21日、一枝宛葉書、見送りお礼、恵美子病気で重子一人で看病、代わってやってくれ。
   23日、土屋訪問か。
   26日、土屋宛葉書、あの件は中公で引き受けたので放念あれ、媒酌の件ありがたく式は来年四五月頃京都で、その際は入洛願う。谷崎松子連名で新村宛葉書、秋に配られた新村金婚式祝歌集『雨月』を送られたことへの礼状。
 12月、朝日文庫信西他』を朝日新聞社より刊行、解説・辰野隆舟橋聖一源氏物語草紙(桐壺)』に序を寄せる。舟橋、『小説公園』に「舞踊劇 少将滋幹の母」掲載。
  精二、「小説形態の研究」で文学博士の学位授与され、同月還暦祝賀の会あり。
   1日、一枝宛書簡、風邪よくなったか、毎日来てくれると重子から感謝。       4日、一枝宛速達葉書、一昨日布施が来て君のお父さんのは胃潰瘍で癌ではないと言っていた。    
   6日、京都へか。    
   7日、下鴨より木場悦熊宛葉書、この度は清治のことでありがたく、11日午後事務所へ行く。
   10日? 「『篁日記』を読む(小野篁妹に恋する事)」を『中央公論』新年号に発表。
   11日、土屋宛葉書、手紙ありがたし熱海へは二十日頃。
   20日頃、熱海へか。
   21日、清治宛書簡、京都の書斎の箪笥から昭25前半の日記ノートを見つけて送ってくれ、帳面の図を筆で描き説明。  
   27日、富久子宛書簡、出発前に拝顔したかったが叶わず残念、沼艸雨に手紙出し返書来たので同封、もっと積極的に出てもいいのでは、犬馬の労は厭わず、さて懐妊中ゆえお大事に二月おめでたの際はいの一番に知らせくれるよう。土屋宛葉書、先日はクリスマス菓子ありがたし。
 この年、大坪の処女短篇集『私刑』刊行。

1951(昭和26)年         66
 1月から3月まで、「元山大師の母(乳野物語)」を『心』に連載。
 同月、根津清治を渡辺重子の養嗣子とする。
   1日、一家で志賀を訪ねる。上山草人一家を迎える。
   2日、NHK「朝の訪問」に出演。
   3日、歌舞伎座復興開場式。
   4日、末永、発熱し、津山へ帰る。
   6日、松子と恵美子、志賀康子と貴美子と福島繁太郎を訪問。
   8日、一枝宛書簡、新年おめでとう、二十日過ぎ高折夫人が来て3日ほど泊まるのでその後おいで。
   10日、土屋宛書簡、20日過ぎ、高折夫人が婚約中の清治千萬子(21)を連れて熱海へ来るので、松子、重子付き添い上京、媒酌の件を頼むがいつごろがよいか。
   16日、松子より勝山の水嶋喜八郎・芳子宛葉書、昨年上京の節会えず残念。
   20日、高折ら来る。一枝宛書簡、24日彼らがはとで帰る時僕も一緒に京都へ行くが洛陽ホテルにいるので25日午後にでも会いたい。
   21日、富久子男児出産、泉と命名。
   24日、はとで帰洛、洛陽ホテル滞在。
   25日、一枝に会うか。
   26日、洛陽ホテルで、源氏物語新訳の協力者、京大助手・玉上琢弥(37)、宮地と打ち合わせを行う。玉上とは初対面で、宮地・沢瀉の推薦による。「物語音読論序説」抜刷を渡すが、これが新訳のですます調に影響したか。
  富久子を産院に見舞ったのは、富久子は二月下旬と書いているが(「花のむかし」)、この頃か。
   熱海へ。
   30日、恵美子が嶋中眉子(雄作次女、1927- )と熱海を歩いていると志賀と貴美子に会い、貴美子と三人で「火の接吻」を観に行く。
   31日、『源氏』の担当となった中央公論社滝沢博夫、仙台に山田孝雄を訪ね校閲を頼む。新潮文庫から『春琴抄』刊行、解説西村孝次。
 2月、「源氏物語の新訳について」執筆。
   4日、一枝宛書簡、京都ではお世話、12−18の間に来てくれ。   
   11日、嶋中宛葉書、題簽中扉文字は新村に頼むことにしたので相談したく滝澤を熱海までよこしてくれ。
   16日、喜美子宛葉書、14日書状見た父には特に用事なく、20日は途中退場するかもしれないので待たないよう伝言頼む、3月は舞台稽古その他で度々上京。
   17日、マキノ雅弘監督、依田義賢脚本『お艶殺し』(東横映画)、日本劇場で封切、市川右太衛門山田五十鈴
   19日、家族で上京か。
   20日、何か芝居でも観たか。   
   23日、世田谷区深沢町山中美智子宛書簡、年賀状今ごろ回送され失礼、今度清治が渡辺の家を継ぎ5月に結婚する。京都の家は新夫婦に委ねるが熱海へどうか遊びにお出でを。
   25日、熱海より新村宛書簡、先般入洛中は会えず失礼、『少将滋幹の母』題字お願い。
   26日、徳川夢声対談のため来訪、根津嘉一郎邸にて。
   27日、茂山千五郎が来て一泊。
   この頃久保一枝子宮筋腫の手術か。
 3月、源氏新訳に着手。
   3日、富久子宛書簡、手紙お礼、重いお産の後どうか見舞状を出そうと思っていた。先日守屋孝蔵来訪、千五郎とも噂、弱法師出演と聞き安心、家族は十日頃帰洛。
   4日から29日まで、海老蔵の光君、菊五郎劇団により、歌舞伎座昼の部で舟橋聖一訳、久保田万太郎演出の『源氏物語』上演、監修としてしばしば立ち会う。
   7日、喜代子・喜美子を歌舞伎座に招待、混んでいた。
   8日、昨日は失礼、演舞場見物は四月三日、喜美子も来てほしい、二十日ごろまた上京、その節は一泊するかも、明治座見るなら切符取る。
   10日頃、「源氏物語の新訳について(源氏物語新訳序)」を『中央公論』4月号に掲載。
   11日、京大附属病院産婦人科一枝宛書簡、お見舞い、今日松子ら三人はとで帰洛。私は三月上旬までには。
   15日、小滝穆宛代筆書簡。
   17日、九里と志賀来訪。久保宛葉書、その後連絡ないが一枝どうか。    
   18日、福田屋で人と会うために新橋駅へ2時7分に着く。その後笹沼家訪問、一泊。
   19日、喜代子・登代子・喜美子・千代子と明治座。「天竺徳兵衛」「寺子屋芝翫を褒める。銀座のすし仙で夕食。
   20日、『少将滋幹の母』(「乳野物語」を併せた廉価版)を毎日新聞社より刊行。久保宛書簡、やはりカンが当たったゆっくり養生してくれ僕は仕事一段落したら行く。富裕税のこと小瀧に。病院の一枝宛書簡、ゆっくり養生し費用のことは言ってくれ。
   23日、久保宛葉書、近日退院の由、その時は報せてくれ。
   29日、古径の絵の表具ができたから見に来ないかと志賀に葉書を出したので志賀が来る。
   30日、一枝宛書簡、退院おめでとう、中公で久保君に相談がある由。 
 4月、『芸術新潮』で徳川夢声と対談。『婦人倶楽部』で杉村春子と「芸道対談」。「話題の人 春は京へお引越し 谷崎潤一郎氏」『毎日グラフ』
  芝翫が六世中村歌右衛門襲名。
   3日、喜代子らと演舞場へ東おどりを観に行く。
   7日、帰洛。
   16日、土屋宛葉書、1日つばめで入洛とのこと、迎えに行き招待する。多田嘉七宛葉書、衣桁の入手について。
   17日、後藤末雄宛葉書、手紙懐かしく、25、6日頃入洛の由、泊まってもよし。下鴨より熱海の美輝子宛書簡、留守ありがとう、近日久保君が行く、先日皆で平安神宮の花を見てきた。
   19日、多田宛葉書、衣桁二組とのこと、28日に必要あり。
   25日、『文藝春秋』臨時増刊第二人物読本に上山草人谷崎潤一郎との四十年」掲載。谷崎が手助けしたらしい。
   28日、多田宛書簡、渡辺家婚儀祝いの品お礼、衣桁は藤井白浜別荘から到着、紫式部軸お礼、藤井山水庵主によろしく。
 5月から『潤一郎新訳源氏物語』全十二巻を中央公論社から順次刊行、29年12月完結。   2日、渡辺清治、高折千萬子と結婚。井上八千代が「老松」を舞う。同日熱海の美輝子宛書簡、新婚旅行の人たちが行くのでよろしく、十日過ぎには家族が行く。千萬子は結婚のために卒業を延期、卒論はモーム『人間の絆』。
   5日、岩波文庫から『盲目物語・春琴抄』刊行。
   10日、熱海行きか。
   19日、笹沼からお礼として更紗贈られる。
  岡田時彦の娘高橋鞠子(19)が芸名をつけてもらいに来る。岡田茉莉子とつける。三田直子と松五郎が来合わせていた。
   20日、熱海から宮本宛葉書、歌舞伎座切符受け取る、明治座26日昼の部二枚とってくれ、取りにゆく。五月歌舞伎座歌右衛門襲名二月目、『沓手鳥』『金閣寺』『娘道成寺』。
   21日、志賀来訪。
   25日、宮本宛葉書、入れ歯の薬容器二個送ったので詰めて至急送れ。
   29日、一枝宛書簡、税のことで久保君にご苦労。
 6月、『前科者 谷崎潤一郎推理小説集』を三才社から刊行。同月の茂山千五郎狂言小謡・小舞公演のために詞「花の段」を書く。
 6−7月、『谷崎潤一郎随筆選集』全三巻を創藝社から刊行。
   1日、笹沼宗一郎から電話、ビクターのラジオを届ける。
   3日、宗一郎、ラジオ付電蓄を届けに来、写真を撮り、一泊。志賀からの味噌を創芸社社長米山謙治が届ける。
   9日、大洞台志賀宛葉書、先日は米山氏より味噌たくさんお礼、北海道へお出かけとか。半月ほど帰洛7月上旬戻る。家族はいるので奥様きみ子様来訪されたし。
   12日、熱海より下鴨の美輝子宛書簡、こないだ泥棒が入ったそうだが被害もなく結構、15日頃帰る、ユキを連れていき来月五六日頃まで在洛。
   15日頃帰洛。
   21日、喜美子宛葉書、十日演舞場は買い切り招待客のみ、熱海拙宅遺品展観に12、3日来てくれその際色紙も帯も記号、宗一郎に写真のお礼伝えてくれ。
   22日、大映『お遊さま』溝口健二監督、封切。田中絹代
    日、「『お遊さま』を見て」を『毎日新聞』に掲載。
   29日、林芙美子死去(48)
 7月6日、熱海に、中公出版部竹内から細雪ゲラ届けて来る、使いとして宮本・栗本へ手紙、頭銀行の小切手を現金に換えてほしい、明日か明後日。
   10日、喜代子・喜美子・千代子と新橋演舞場菊五郎三回忌追善興行。菊五郎劇団に海老蔵、「延命院日当」「うかれ坊主」「ひらかな盛衰記」「牡丹燈籠」。松緑の進境を見る。
   14日、喜代子・登代子・喜美子が熱海を訪ね六代目三回忌追善を行う。一泊。
   15日、三人と遊んでいて激しい眩暈に襲われる。
   16日、一枝宛書簡、京都は雨ひどいよう、こちらも豪雨。清治が病気らしいので重子が近日帰洛。
   20日、山本実彦に会う。
   21日、文化功労者となる。志賀宛葉書、軽井沢お出かけと山本から聞いた、その前にお話したく明日伺う。宮本より書簡、笹沼の件は無事済んだ、税の件。
   22日、志賀来訪。一枝宛書簡、重子出迎えお礼、来月3、4日南座初日の前には帰洛したい。宮本書簡同封。
   23日、京都の重子宛書簡、出発の際涙ぐんでいたと松子恵美子から聞き、誰か女中をつければよかったと思った、一枝に毎日でも行ってあげるよう言う。来月の箱根行きも清治の病気で手が離れないので早く行って早く帰るよう。隣家の藝者たちに話をして今夕四人の藝妓総揚げにして了解とする。
   24日、志賀宛葉書、28日の約束、急に暑くなり家族と箱根へ行くことにしたので延期。
   25日、滝澤を連れて箱根、仕事。
   30日、帰宅。
   31日、一枝宛書簡、箱根で源氏第二巻終えた。7日夜行で京都。
 8月4日、渡辺千萬子宛書簡、清治の看護疲れせぬよう、今後の予定。
  この頃福田蘭童来るか。西園寺公望の軸を入手したので蘭童の友人米山譲治に渡して西園寺公一に鑑定を頼んだもの。
   5日、一枝宛書簡、ユキを連れて行く早朝なので出迎え不要、8日午後下鴨へ来てくれ。  
   7日、夜行銀河で帰洛、8日着。
   8日、玉上来訪。
   10日、新潮文庫より『吉野葛・盲目物語』刊行、解説井上靖
   11日、玉上来訪、「よりまし」と「憑人」について玉上に質問、玉上は新村に伝える。
   12日、新村から手紙で答える。
   17日、下鴨の重子宛書簡、今明日くらいで仕事一段落三日ほど上京の後23日のはとで帰る。川端原作、成瀬巳喜男監督『舞姫』封切、岡田茉莉子デビュ。
   19日、熱海より新村宛書簡、今朝当地着手紙読んで解決、来月帰洛拝芝。
   20日、日帰りで上京、重子にハンドバッグ買う。   
   21日、一枝宛書簡、23日はとで松子、恵美子と帰洛。源氏売上は三条の万字堂が全国二位。   
   23日、帰洛。
   25日、新潮文庫より『猫と庄造と二人のをんな』刊行、解説眞杉静枝。
   28日、熱海から津島寿一宛書簡、追放解除めでたし、預かっていた倫敦の羽左衛門の玉稿『文藝春秋』に掲載、創作謡曲宮守と一緒に書留で返送した、今後は自由の天地に。
   30日、富久子宛書簡、9月9日東京で武智に会うので衣装のこと相談、会の名候補、「滋幹の母」特製版近日送らせる。
 9月、『新訳源氏物語』巻二刊行。創元文庫より『瓢風・お艶殺し』刊行、解説・河盛好蔵
  我当、十三世片岡仁左衛門襲名。
   7日、松子から山中美智子宛書簡。
   8日、日本は48ヵ国と平和条約締結。
   9日、上京、武智に会うか。舟橋に会ったのもこの時? 重箱。
   10日、黒沢明羅生門』、ヴェネチア国際映画祭でグランプリ。
   28日、下鴨より新宿区下落合舟橋聖一宛書簡、先般重箱で十月舞台稽古に行くと言ったが執筆の都合で変更、23日帰洛、台本には朱を入れて送るので参考にしてほしい。来月二十日前後には上京。
 同月、杉並区の相馬信子より手紙、「乳野物語」に出てきた「すみつかり」について、郷里下館にはすみつかりという料理があると指摘。
 10月、創元文庫より『お才と巳之介』刊行、解説・河盛好蔵
   3−27日、歌舞伎座で『源氏物語』再演。四日以降は「賢木」東宮との別れを割愛。
   3日、玉上を文学座シラノ、祇園に招待。 
   14日、志賀に大阪鶴屋八幡の菓子を贈る。   
   16日、玉上つばめで上京、定宿である芝明舟町の福田家に二人で泊。
   17日、玉上と歌舞伎座源氏物語』を観る。
   18日、玉上、熱海谷崎邸から夜行で帰洛。
   19日、熱海より喜美子宛葉書、来月予定。
   20日日比谷公会堂で来日したメニューヒンの演奏を聴く。角川文庫より『乱菊物語』刊行、解説野村尚吾。
   24日、熱海より喜美子宛葉書、来月予定。
   25日、練馬の和辻宛書簡、先般恵贈の『鎖国』は異常な興味を持って通読、さて当方娘と某博士令息と縁談進行中、辰野の親戚だが当人の性格分からず、貴殿の弟子と聞くので聞かせてもらいたい。春樹君は気の毒な状態。
   29日、一枝宛書簡、仕事多忙でごぶさた、来月3日重子帰洛、私と松子は5日。 
   30日、松子と熱海の志賀を訪問。(志賀書簡)   
   31日、笹沼宗一郎夫婦来訪、泊。新潮文庫より『蓼食ふ蟲』刊行、解説吉田健一。 11月、「忘れ得ぬ日の記録」を『天皇歌集 みやまきりしま』の末尾に掲載。 
   1日、谷崎宅庭で宗一郎が写真を撮る。松子と上京、新橋演舞場で東おどり、園と夕飯に招かれる。
   2日、喜美子と新橋昼の部を観た後、三越劇場へ滝澤修『炎の人』を見に行く。夜帰宅。大映源氏物語」封切、谷崎の口ぞえで草人、僧都役で出演。
   3日、武者小路、中村吉右衛門文化勲章受章。一枝宛書簡、帰洛しても仕事。重子帰洛か。
   5日、松子と帰洛か。  
   9日、新村より、アーサー・ウェイリーの年齢著書調べてよこす。
   18日、比較文学会関西大会のあと、後藤の斡旋で会員らを祇園に招待。中島健蔵(49)・波多野完治(47)、板垣直子(56)、太田三郎(43)、島田謹二(51)。
   25日、膳桂之助死去(65)。
   熱海へか。
   30日、松子と熱海に志賀を訪ねる。
 12月、『新訳源氏物語』巻三刊行。
   3日、熱海へ。清治夫妻も一緒。
   4日、志賀、貴美子、山本実彦が来訪、すし屋。
   この頃熱海起雲閣で辰野と対談か。
   6日、上京、帝劇で秦豊吉に会う。この頃松子が佐佐木信綱宅へ使いを出したら、吉井が谷崎のことを新聞に書いていると伝えられる。
   7−26日、歌舞伎座昼の部で舟橋脚色、舟橋・巌谷真一演出『少将滋幹の母』上演、滋幹は半四郎、北の方は富十郎、国経は八百蔵。
   10日、新潮文庫より『卍』刊行、解説中村光夫
   11日、土屋宛葉書、18日帝劇昼の部三枚とってくれ、家族三人で伺う。
   12日、安田靭彦より「源氏」二巻お礼の書簡。
   13日、一枝宛書簡、税金のこと久保に。もう一度くらい帰洛したかったが心臓の結滞が多く布施に相談したらあまり汽車に乗らないようにとのこと。 
   18日、家族と帝劇か。
   23日、熱海から志賀宛葉書、嶋中から28日都合よしと聞いた奥様きみ子様三人でお出で待つ。一枝宛書簡、店立派になったそうで、一月末には見に行く。
   28日、「ジープの四人」試写会で志賀に会う。午後三時、志賀来訪、あとから貴美子、重子の手料理。