「平家物語」と勧善懲悪(2)

  『平家』前半の山場は、鹿ケ谷の陰謀が暴露し、俊寛僧都らが島に流されるところである。のち赦免の使いが来るが、俊寛だけは許されずに島に残る。これを描いたのが浄瑠璃「平家女護島」で、そのうち「俊寛」だけが歌舞伎でもよく上演され、最後は俊寛が岩の上に乗って、遠ざかっていく船に向かって「おおーい」と言う。もちろんそれ以前に原作にはない筋がこしらえてはある。歌舞伎がソ連公演をした時、この「俊寛」がソ連人の受けが良かったと河竹登志夫が書いており、ソ連独裁政府の恐怖を思わせるからだろう、としてあった。私も何度か「俊寛」を観たが、ある時、自分にはこの芝居は全然面白くない、ということに卒然として気づいた。芥川龍之介菊池寛も、この「俊寛」を脚色して小説にしている。私は独裁政権の下には生きていないが、日本でも人気があるから何度も上演されるのだろう。この点でも、私は『平家』に乗れない自分を感ぜざるをえない。
 『平家物語』にも、近代の再創造説があって、軍事大国化する過程で軍記物語として盛り上がったというのだが(大津雄一『『平家物語』の再誕 創られた国民叙事詩NHKブックス)、これに関しては、ある程度は正しいのだろうが、前近代以来『平家』は人気があったと言えるだろう。
 清盛に悪事があったとして、その一族がその責任を負うべきかという議論は、『平家』の周辺では出てこない。おそらく単なる源平交替説に則っているか、頼朝の源氏にしても三代で滅びて平氏の北条氏にとってかわられたとみられているのかもしれないが、『平家』はそこまで説明するわけではなく、平家が「悪」なのかどうかは曖昧なままである。この構造は、戦後五十年以上たって、戦時中子供だった者や戦後生まれの日本人に「戦争責任」があるのか、という問題と似た構造を持っている。『義経千本桜』は、実際には桜は出てこないし、平家が壇ノ浦ではなく屋島の戦いで滅びたことになっている上、最後には義経と頼朝の和解まで暗示されている。『平家』と不思議な関係にある浄瑠璃だが、浄瑠璃の世界で本説とのズレは珍しいことではない。
 『平家』について「青葉の笛」的な、美少年趣味の混じったかわいそう路線は戦後にはあまり見られなくなり、吉川英治の『新・平家物語』は、むしろ清盛の先進性を前面に出し、また木曽義仲の哀れな最期を中心にした作りであった。実際、『平家』の中心人物は木曽義仲だという説もある。
 『三国志演義』にもそういう曖昧さはあって、当初は、劉備関羽張飛が善玉で、曹操が悪役だと思って読んでいるのだが、どうも様子が変なので聞いてみると、主人公は曹操諸葛孔明だという説があり、第一勧善懲悪になっているわけでもない。
  『建礼門院右京太夫集』は、清盛の娘徳子に仕え、資盛の恋人だった右京太夫という宮廷女房の家集であり日記ともされるが、私には建礼門院徳子というのは、清盛が自身の出世のために天皇の后にした人以上のものとは思えないし、資盛はその清盛の孫、以上のものには思えない。もし彼らに、彼ら独自の物語があるならまだいいが、それもないのである。何ら独自の物語のない人物について感情移入することが私にはできない。むしろ、清盛自身のほうに私は好感を抱くくらいで、単に父親や祖父が偉大であったというお嬢ちゃんやお坊ちゃんのことは、どうでもいいとしか思えないのである。
 ここで西洋におけるホメロスギリシア悲劇シェイクスピアなどに、『平家』のような曖昧さはあまりないのではないか、という気がするのだが、実際には、トロイ戦争ではヘレナをさらったパリスが悪くて、アガメムノンらが善であるということはないが、巨大な戦争に巻き込まれた武将たちの、それぞれの善なる部分と悪なる部分が描かれて壮大さを感じさせる。木下順二は、『平家』を題材とした『子午線の祀り』で話題を呼んだが、シェイクスピアの戯曲の翻訳もしており、『リチャード二世』『ヘンリー四世、五世、六世』『リチャード三世』をあわせたばら戦争ものを集大成している。
 シェイクスピアの『マクベス』は、「悲劇」と呼ばれているが、マクベスは明らかに悪で、それが倒されるんだから勧善懲悪で、そういう意味では悲劇ではなく喜劇なんではないかと思うこともある。しかしマクベスは、史実においては王位継承権を持つ立場で、芝居に描かれたほどの悪人ではないのだが、戯曲においては確固たる存在感を持っている。それに対して、知盛とか維盛とかいうのは、いったい自分の一族がやってきたことをどう考えているのか分からない。仮に彼らが、清盛のやったことは悪かった、とでも言えばいいのだろうが、儒教的な精神をもつ武士としてそんなことが言えない、それで私には煮え切らない感じしかしないのである。
 NHKで、川本喜八郎の人形で「三国志」と「平家物語」を続けてやったことがあるが、私にはこれまで書いてきた理由で、あまり好きな人形劇ではなかった。それ以前に、辻村ジュサブロー(現・寿三郎)の人形でやった「新八犬伝」「真田十勇士」などの、善悪がはっきりしたものがいいのである。
 石母田正の『平家物語』(岩波新書、一九五七)は話題となった著作で、『平家』の国民文学論を決定づけたともいえるが、ここでは全体を三部に分け、清盛を中心とした部分、義仲を中心とした部分、義経を中心とした部分としているが、最後はむしろ平家の人々が中心だとすべきだろう。全体の主題である「諸行無常」には、清盛は加担しない、最後まで現世に執着している。そして重盛以外の残った平家の者たちは、清盛について感想を言わない。清盛が悪事をやり過ぎたから自分らはこうなっているのだといったことを口にしない。仮にここで、清盛擁護論を知盛や重衡が口にしていたら、様相は変わってくるだろう。いわんや、薩摩守忠度や敦盛がそれを言っていたら、彼らはたちまち読者の同情を失うだろう。それを言わないというところに、『平家』の奇妙さがあり、日本人はずっとこの奇妙さにつきあってきたのだといえる。
 NHK大河ドラマでは、清盛を英雄的に描くことが多かった。村上元三原作『源義経』(一九六六)では辰巳柳太郎、『新・平家物語』(一九七三)では仲代達矢宮尾登美子原作『義経』(二〇〇五)での渡哲也、『平清盛』(二〇一二)の松山ケンイチで、悪役として描かれたのは、永井路子原作『草燃える』(一九七九)の金子信雄の清盛くらいである。『平家』の世界というのが、そうしておかないと、知盛や敦盛や忠度を描く際にバランスがとれないからで、だから『草燃える』の時は、平家の一族はあまり細かには描かれないし、第一線の俳優は使っていない。
 『平家』の最後は、壇ノ浦で生き残った建礼門院徳子を、後白河院が訪ねる「大原御幸」がある。北条秀司はこれを「建礼門院」に書き直しており、中村歌右衛門建礼門院を、二代中村鴈治郎が後白河を演じた。渡辺保は『歌右衛門伝説』でこれをとりあげ、後白河を昭和天皇に置き換えて、天皇が戦争責任を認めた、と読んだ。だが、天皇の大好きな北条がそんな含意を込めたか疑わしいし、戦争責任などというのは昭和天皇がいなくなってしまえばどうでもいいようなものだ。つくづく私は『平家』とは相性が悪いらしい。
 ではもう一つ、大きな人気を誇った「忠臣蔵」は、勧善懲悪ではないか、と考えると、これも実は怪しいところがあって、浅野内匠頭吉良上野介に殺されたわけではないから、『モンテ・クリスト伯』のようなちゃんとした復讐劇ではないのである。そういう意味では「鏡山旧錦絵」のほうがよっぽどちゃんとした復讐劇である。