「平家物語」と勧善懲悪の謎(最終回)

 前に出た大塚ひかりには『男は美人の嘘が好き :ひかりと影の平家物語』(一九九九)という著作がある。大塚は、『源氏物語』や『古事記』については鋭い議論を繰り出すが、この『平家』論はあまり鋭くない。女性論を中心としており、文庫化(二〇一二)された際には『女嫌いの平家物語』と改題された。『平家』にはあまり女の活躍がない。木曽義仲の愛妾とされる巴は、出てはくるがちらりとだけで、冒頭の祇王・祇女、仏御前のほかに、印象に残るのは小宰相くらいで、清盛の孫の通盛に恋われてその妻となり、湊川で通盛が戦死したと聞いて泣き伏し、一ノ谷で身投げして死んでしまう。
 そもそも通盛の妻となる経緯が、通盛が口説いてもなびかないので、主人の上西門院が脅すようにして通盛のほうへ追いやったという経緯があり、あまり逸話として好きではない。
 大塚の著は、今ひとつ私には理解の行き届かないところがあり、友人なんだから訊けばいいのだが、聞いても分からないものがそこにある感じがあって、たとえば大塚は壇ノ浦での平家滅亡を泣いて見られるわけで、それがもう私には理解できないし、「男は女の嘘が好き」も意味ありげだが分からないし、本文中に「美人が好きな男は女が嫌いなのだ」とあるのも私には理解しづらく、解説を書いたのだがそこでそういうところが分からないということを書いたらあとで、著者をバカにしたような解説だと評判が悪く、以後文庫解説の仕事がとんとなくなってしまった。
 曲亭馬琴徳川時代後期から一世を風靡した読本作家で、「勧善懲悪」とされるが、明治期になって坪内逍遥が『小説神髄』でこれを批判して、明治期一杯は馬琴の人気は持ちこたえたが、以後は子供の読み物として残ったというに近い。というより、日本にはそれほどの強い「悪」への憎悪というのはなかったのではないか。
 『平家』と併称される軍記物語である『太平記』となると、足利方と南朝方とどちらを善とも悪とも決めずに書かれているとしか思えないが、これについて、昭和の戦時中は、足利尊氏天皇に謀反した悪人として教えたというが、実際に尊氏をそのように描いたのは子供向けの教科書か、せいぜい大佛次郎の『大楠公』くらいで、鷲尾雨工の『吉野朝太平記』を見ても、尊氏は尊王家で、心ならずも天皇に叛くことになった立派な人物として描かれており、戦後の吉川英治私本太平記』のスタンスとさして違わないのである。
 その吉川の、国民的ベストセラーである『宮本武蔵』となると、これがまた全然「勧善懲悪」ではないから驚く。いや正確に言うなら、『宮本武蔵』が勧善懲悪でないことに人はもっと驚くべきであろう。立川文庫真田十勇士は、残念ながら善が負けてしまうが、徳川家康を悪玉とする痛快活劇であった。それにひきかえ『宮本武蔵』は、これではまるで武蔵が血に飢えた殺人鬼にしか見えないではないか。『レ・ミゼラブル』や『モンテ・クリスト伯』を読むときの、ああ善なる意思よ勝利せよと念じながら読むということがそこにはない。人を殺して成長するという珍妙な殺人ビルドゥングスロマンがあるだけである。映画版で中村錦之助萬屋錦之介)は「違う違う違うっ!」と叫ぶのだが、そりゃ違うだろう、『宮本武蔵』自体が間違いであろう。日本人には正義感というものがないのかと思う。
  徳川時代の読本・合巻に「勧善懲悪」は少なくないが、浄瑠璃の時代ものに、勧善懲悪を前面に押し出しているものは存外少ないような気がする。むしろ、貴人の身替りとなって子供や家来が死ぬという趣向で観客を泣かせるものが多く、それが谷崎潤一郎に、人形浄瑠璃を「痴呆の藝術」といわせ、織田作之助に「二流文楽」と言わせたゆえんであろう(一般に織田作は文楽にことよせて文学の話をしていると理解されているが、私は人形浄瑠璃の二流性も遠慮しつつ言っていると思う)。
 坪内逍遥は、自分が愛読した馬琴を仮想敵として『小説神髄』を書き、日本の前近代文藝を馬琴で代表させた。もっとも逍遥の『当世書生気質』も一種の勧善懲悪であり、むしろ逍遥が批判したのは八犬士が「仁義八行の化物」である点だったろう。だが実際に瀰漫していたのは勧善懲悪ではなく、百川敬仁の言う「もののあわれ=共同化された悲哀」のほうであったろう。
 「マクベス」や「リチャード三世」で堂々たる勧善懲悪を達成した西洋は、実際の歴史も、勧善懲悪で進んできた。フランス革命の方向性も、何度も反動的な動きを見せつつ、近代へ向けての動きとして結実したし、第二次大戦において、英米は、勝利者である善として振舞えた。米国はその後ベトナム戦争で一敗地にまみれるが、その後のソ連の解体で再度勝利者の地位に立った。
 それに引きかえ、日本人は勧善懲悪の実現にはなじみがない。大坂の陣における真田幸村徳川時代からヒーローで、徳川家康は悪役だったが、善は勝っていない。明治維新においては天皇を善として徳川幕府を滅ぼしたが、だんだん、本当に幕府が悪だったのかは疑わしくなってきた。特に戊辰戦争における会津藩は、まるで滅ぼされる善のように見えた。日清、日露戦争に勝って、ようやく日本人は自分らが勝つという感覚になじんだが、それは米英相手の戦争で木っ端みじんにされてしまい、結局は民主主義が勝ったのだ、と見なして、同盟国だったドイツのヒトラーを盛んに悪玉視したり、日本の悪くなさを言ってみたりしている。しかし、日本人の感覚はもともとあまり勧善懲悪向きに出来てはいないのかもしれない。
  もちろん、サブカルチャー、特に子供向けのものには、世界征服をたくらむブラックゴースト(「サイボーグ009」)やショッカー(「仮面ライダー」)をヒーローが倒すというものはいくらもある。だがそれを、悪だとされている側にも理があるんじゃないかという視点が出てくるのが戦後的現象である。
 「機動戦士ガンダム」も、そういうものだという伝説があったが、実際にはザビ家は「悪」でしかない。ジオンそのものの独立を唱えたジオン・ズム・ダイクンは高邁な理想を持っていたが、それを殺したのがデギン・ザビで、デギンの子供たち、ギレン、キシリアらがザビ家独裁を行い、ダイクンの遺児がシャア・アズナブルの変名でジオン軍に乗り込んでかたき討ちを果たそうとする。つまり『平家物語』の書き直しなのである。シャアが最初に血祭にあげるのは末子で友人であったガルマだが、果たしてガルマに罪があるのか、というのは、もしかするとどこかで展開すべき論だったかもしれないが、結局は展開されずに終わった。ここで重要だったかもしれないのは、『平家』では善人として描かれた重盛に当たるギレンをデギン以上の悪人として置いたことで、富野由悠季は、これによって『平家』を刷新し、これを「勧善懲悪」にして終わらせたのである。