『週刊文春』の「文庫本を狙え!」で坪内祐三が、中野三敏の『写楽』(中公文庫)を取り上げている。これは2007年に中公新書で出たものの文庫化である。
写楽については、戦後「別人説」が叢生し、1984年にはNHKで池田満寿夫が、その正体は歌舞伎役者の中村此蔵だ、というのを放送して、そのあと服部幸雄先生の授業に出たら(非常勤で本郷へ来ておられた)、かなり痛憤をこめて、池田がいかに歌舞伎に無知でこれが間違いかを語っていた。だがそれから数年後には、内田千鶴子らの業績によって、写楽はやはり阿波の能楽師・斎藤十郎兵衛だということになり、「朝日新聞」に、高橋克彦の、写楽はやはり写楽だったのである、という文章が出た。
ところが坪内の文章は、大正時代にユリウス・クルトが「阿波の能役者・斎藤十郎兵衛」とした、と書いたあとで、クルトの説は否定され、別人説がいくつも出た、と書いていて、中野がこの本で何を書いたか書いていないため、まるで中野が別人説を唱えているように見える。
最後は、1977年に中野が『江戸方角分』という斎藤十郎兵衛説に有力な文書を刊行したあと、由良哲次が79年(由良の没年)に出した『総校日本浮世絵類考』で相変わらず北斎説に固執して、『江戸方角分』の価値を認めないので驚いたという引用で終わっているが、相変わらず読者の頭はもやもやしている。中野は早くから、写楽は斎藤十郎兵衛だと言っていたのだ。