村上信彦といえば、明治の流行作家・村上浪六の息子にして、浅沼稲次郎暗殺犯・山口二矢のおじであり、女性史研究家で、『柳田国男と高群逸枝』で毎日出版文化賞をとった人として知られる。その女性史研究は現在では疑問が多いとされているが、近年、河原梓水の『SMの思想史』で、村上は『綺譚クラブ』に変名で、真性のサディストとして寄稿していたことが分かった。
さらに村上は、丸山ワクチンに比べると忘れられている蓮見ワクチンの支持者でもあり、自分で医学書など書いている。さらに相見三郎という漢方医と、漢方医学についての共著も出している。この相見というのは、1903-1980年で、慶大医学部を出て、1955年から漢方専門の相見医院を開設したとなっているが、最初の著書『奇跡の鍵』を見ると、日本基督教団の牧師であり、さらにはその異端としか思えない、キリスト教の力で病気を治す的な思想の雑誌を主宰していたことも分かる。経歴を以下に示す。
相見三郎(1903年3月9日ー1980年1月23日)
新潟県出身。東京生まれ。東京府立第一中学校、1930年慶應義塾大学医学部卒、慶大外科学教室助手、満鉄医長。伊豆慶応堂病院外科医長、院長を兼ね、慶大病理学研究室。1948年医学博士。戦後東京都監察医務院の医務課長。1951年から54年日本聖書神学校に学び、54年日本基督教団補教師。すべての公職を退き教えによる癒しに専念、同教団霊化教会牧師・武本喜代蔵を会長として56年神癒聖会を結成、教師を担当。56年武本死去後、霊化教会主管者、神癒聖会を合併、月刊誌『霊化と聖癒』を主宰。55年漢方専門の相見医院を開業。
相見医院の開業より後になって、神癒聖会を結成し、『霊化と聖癒』を主宰しているのだが、村上信彦というのはつくづくこういう民間医療(スピリチュアル)にひかれる人だったのだということが分かる。
(小谷野敦)