石坂洋次郎の正体

 二か月ほど前に三浦雅士さんから『石坂洋次郎の逆襲』(講談社)を送ってもらった。私は石坂については『恋愛の昭和史』で論じたこともあるが、『若い人』が不敬罪と軍人誣告罪という、後者にいたっては存在しえない罪で告訴されたというデマのほうが気になって、そういうことが書いてないかビクビクものだったが、それはないようだった。

 「東奥日報」に連載されたもので、もちろん知らなかったが、趣旨は、石坂は性に関して大胆で進取的な女を描き続けて来た、というものだ。ところが、マーガレット・ミードの『サモアの思春期』という、のちにミードが騙されただけだと分かった本や、宮本常一の「土佐源氏」というフィクションのポルノを本気にしているらしいので、困ったなと思って放置しておいた。

 書評が出たので改めて読んでみて、三浦が、最高傑作と呼ぶ後期の作品のうち「血液型などこわくない!」(『オール読物』1970年7月、同題作品集、文藝春秋)を読んでみた。いつものように、性に関してオープンな会話をする新婚夫婦と、その間に生まれた娘・ゆり子が描かれるが、娘が高校生になった時、娘の血液型がABで、父親のそれがO型であることが分かり、母親を問い詰めると、父親の友達の男と遊びで五、六回ホテルに行き、それでできた子だと言う。母親は家を出ていくが、血のつながりのない娘は大学を出て家庭の主婦になり、父親とセックスをして子供を産むようになる。二人目が生まれたところで母親も戻ってくる。

 大胆な近親相姦小説ともいえるが、母親が出ていく前の娘との会話で、娘が、「おかあさん・・・・アンドレ・ジイドって人は徹底した同性愛趣味の人なんだって」と言う。すると母は、

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「ジイドがオカマ趣味の変質者だと聞かされて、私は彼の作品が一ぺんにいやになったよ。私は性行為はすべて『産めよ、殖えよ、地に満てよ』の路線に添うたものでなければならず、それに背く変質者は死刑にすべきだと思うね。マフィアの耽溺者と同じことだよ。そういう変質者たちは、男は女を最大限に侮辱し、女も男を最大限に侮辱していることになるんだわ」

 ゆり子は母の意見に同感だった。そして、再会を期しがたい別れぎわに、女の立場にほこりを持つよう励まし合ったことが、あと味のいい回想になるのではなかろうかと思ったりした。

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  まあ、1970年当時としてはともかく、現在において石坂洋次郎フェミニスト作家として復権させるのは、無理であろうな、と思ったことであった。

小谷野敦