赤面体験

 私が小学校六年生のころ、五つ下の弟が転校生と仲良くなった。関西から越してきたのだったか、少し離れたところに住んでいたが、その母親Gさんが、私の母と仲良くなった。眼鏡をかけたインテリ風の女性で、母は、あの人と話して初めて話の通じる人に会った気がした、などと語っていた。そのうち、私の家の斜め前の土地があいていたので、そこに一戸建てを建ててその一家は越してきた。
 ところが、それから数年して、母とGさんとの間に何かトラブルがあったらしく、詳細は知らないのだが、親子して絶交するようなことになってしまった。私が高三になるころ、うちは同じ市内で転居したのだが、その時、Gさん母子があいさつに来たが、ぎごちない雰囲気だった。
 絶交する前の話だが、うちから少し行ったところにガラス店があり、周辺ではみなその店を利用していた。ある時、Gさんが子供を連れて行くと、カブトムシを飼っていた。まあ立派なカブトムシですねえと言い、子供が興奮して目を輝かせた。するとガラス店のおばさんが、カブトムシの入った容器のふたをあけた。カブトムシは数匹いたから、一匹自分の子供にくれるのだと思ったGさんは、
 「いえ、いえ、いいんですよそんな」
 とあわてて手を振った。
 「エサ、あげるんですけど」
 人間の生涯には、一度くらいこういう赤面体験があるものだ。

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出版ニュース』に、齋藤慎爾の「流謫と自存」という自伝的な文章が連載されているのだが、最新号が届いて見てたらいきなり、一高の文芸部員は川端康成も務めた、とあった。川端は委員はしていない。少し前に齋藤は、戸川純が自殺した、と書いて多方面から指摘を受け、次の回で戸川京子と混同し、戸川純はいかにも自殺しそうに見えたとか弁明していたが、大丈夫なんだろうか。『周五郎伝』がやまなし文学賞を受賞したが、あれは前の『寂聴伝』に比べても出来が悪く、木村久邇典が営々と積み上げてきたものに何も加えるところがなかったし、疑問である。
 それに齋藤はあとのほうで、白井健三郎のことを書いて、没年月日は分からない、自分はインターネットを使わない、と揚言しているが、そういうことを自慢げに言うのは嫌なものだ。