独身男女の差

 『大学ランキング2013』が届いたので、私が怨念をこめて書いた部分を見たら、すぐ後ろに佐伯順子先生が女性大学教員について書いていた。最近、五十前後で女性学者が亡くなることが多い、とあるのは菅聡子先生のことか。佐伯さんはそれを過重労働が原因という風に書くのだが、菅さんの死因は過労ではなかったと思う。過労と言えるのは古いが千野香織、あと男で大澤吉博さん、これは歴然たる過労死だった。北川東子さんにしても、過労が原因といえるかどうか。
 それはいいとして、実は論旨に奇妙なよじれがあって、ただこれは分量的にやむをえないのだが、男は妻がいて家事育児をしてくれるが女はそうではない、というのだが、ここで本当は佐伯さんは、子育てを同居している母親に任せている働く女に怒りを覚えているのだ。それは大変よく分かる。また夫婦共稼ぎでも家事育児は女がやるという状況が残っていることもあり、それに怒りを覚えるのはいくらか分かる。
 だが、独身の男の大学教員というのもいるわけで、それと独身の女の人という風に比べるとどうなるのか、というと、これが要するに、家事の稠密さの違いということになるのである。私が独身だったころは、要するに食事は外食かできあいのもの、掃除は月一回くらい、という状態だった。これが女となると、きっちり作ってきっちり掃除もするわけで、それはもう「男のようになりたかったら毎日掃除するな」ということになるのである。
 つまりこれは、「女として育てられたから、家事をきちんとやってしまう」ということに問題がある、ということになるわけで、「女業の再生産」みたいなものなんだよね。
(付記)『女学者丁々発止!』という本で島崎今日子が長谷川三千子先生にインタビューした時、「長谷川さんは、女が本気になって怒ると男は黙ってしまう、と書いてはりましたけど、そんなことないんやないですか。もっと激しく言い返してくるんやないですか」と言った。すると長谷川先生は「ああ、あまり高級な男とつきあってないのね」と言った。記憶による大意。
 上の文章に対して、女だって家事の下手なのはたくさんいる、とか言っている人に対しては「ああ、あまり高級な女とつきあってなかったんだね。あるいは、あなたがあまり高級な女じゃないんだね」と言うほかないわな。 
  
http://www.artcross.co.jp/gallery/motoko-saeki/profile.html
まあ本人はドイツもタイもお母上と一緒だったらしいが…。