春画とAV

 『週刊読書人』に、辻惟雄木下直之の、春画に関する対談が載っている。
 私はここ二十年ほど、一部学者の間での春画ブームに懐疑的なのだが、これは、ロンドンでは春画の展覧会が開かれたのに日本ではなぜできないのかという問題が中心である。
 とはいえ、春画というのは、たくさん見ていると飽きる。
 それと、アダルトビデオと対比されるところが気になるのだが、そもそも十数年前に、田中優子佐伯順子上野千鶴子らが座談会をやった時も、この人たちがどの程度AVを観ているのか疑問だったし、辻、木下にしても、男だから観てはいるだろうが、どの程度かなと思う。
 つまり、AVは孤独な男が一人でオナニーに使うものだが、春画は男女が一緒に見る、といった言い方がされるのだが、それはどうか。男女一緒にAVを観ることもあるし、春画だって男が一人でオナニーに使っただろう。
 どうも読んでいると、AVというのは、女が強姦されて、そのうちよがるようになる、というものだと思っているようなところもあるし、逆に、ストーリーなく、ただ性行為をあれこれするのだ、というような意識も見える。
 しかし、ストーリーがあるから高級だというのは変なので、ストーリーなく、いかに気持ちよく見せるかということを日本のAVは考えているので、どうも現代をおとしめ江戸を美化しようとする傾向があるのは否めない。 
 といってもまあ、この二人は美術史の世界では異端なのだが…。 

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http://blogs.yahoo.co.jp/akihito_suzuki2000/62266672.html#62465498
これを見て、松原留美子が宮崎留美子になった、と信じ、
http://miyazakirumiko.jp/(音が出ます)
 これを見て、宮崎留美子の本を図書館で借りたりしたのだが、コメントを見て、
http://banana5-1-2.cocolog-nifty.com/123/2010/11/post-633f.html
 そういえば別人かな…と気づいた。