西沢あさ子のこと

 先日、川西政明が『週刊新潮』の掲示板で、西沢隆二(ぬやまひろし)の妻だった西沢あさ子(本名・渡辺芳子)を知らないか、と書いていた。あさ子は隆二との夫婦仲が悪化し、一時期佐多稲子と同居していて、そこへ佐藤春夫が乗り込んで、西沢をとるか自分をとるかと詰め寄ったといい、これが昭和五年、つまり谷崎夫人千代を譲られる年のことなので気になったらしい。
 いきなりなんでそんな話になったのかと思ったら、『遊民』という名古屋で出ている同人雑誌の三号に、大牧冨士夫という中野重治研究家の「西沢あさ子さんのこと」が載っていたのであった。さっそく読んでみると、佐多稲子が『夏の栞』に書いているとある。ただ、ほかは実名だが、佐藤春夫だけ名前が伏せられている。
 あさ子はここでは「芳子」となっており、結婚後、半年で破綻を迎え、のち西沢は芳子との結婚は隠し通したという。

 芳子を間にして彼(西沢)が対決をせねばならなかった先方は、自身の文学の上で師ともして、「驢馬」の頃には何度かの面接も得た人である。先方にとっても、からまったその絲は思いがけなかったろう。だからこそ、自身の立場によってその人は、対決を求めた。ある夜、わが家の門口で突然その人をむかえた私は、殆どぼんやりとした。あり得ないことだったからである。窪川(鶴次郎)としても同じであったろう。雨の降る夜更けに人力車で来たその人に、窪川も初めて逢うのではなかった。

 しかし、芳子を西沢が酒場勤めに出したことが問題になっていた、ともとれる。名前が伏せられた佐藤は、西沢に退いてもらうこともあると言い、芳子は、私は西沢を愛しています、と叫んだという。佐藤とあさ子の関係が恋愛的なものだったかどうか、いずれを見てもしかとは定めがたい。