名画礼賛と・・・

 先日、いい映画を観た。Vシネマの『F.ヘルス嬢日記』という、加藤彰監督、荒井晴彦脚本、一九九六年のものだが、これを観たのは、佐伯一麦の短編「一輪」が原作だと知ったからだが、驚くべきことに、原作を凌駕するほどの名画だった。劇場映画ではないからか、何の賞もとらなかったのが不思議なくらいである。主演は真弓倫子と金山一彦で、電気工の青年がヘルス嬢に恋をしてしまうという話である。佐伯自身、電気工をしていて、アスベストを吸い込んだため危険な状態にあるのだが、恐らく佐伯の私小説だろう。真弓の正体は、はじめよく分からない。妊娠中絶をしようとして、産科医でたまたま知り合った女に勧められて、ヘルス嬢の勤めを始める。真弓が当初、いかにもその辺の、さほど冴えない低学歴の人妻という感じで、実にいい。金山は、仕事でそのヘルス店へ行って、弁当を食べている真弓に一目惚れして、通うようになる。誘った友達がテルマ、真弓がルイーズという名で出ている。もちろん映画『テルマ&ルイーズ』からとったもので、映画版オリジナルだ。
 金山は何度か通ううちに思いを打ち明けるが、もちろんヘルス嬢だから適当に受け流している。ある時ルイーズが姿を消す。どうやら夫から脅迫電話が入って店を変わったらしく、金山はテルマから歌舞伎町の移り先を聞いて会いに行き、彼女が夫と別れようとしていることを知る。それからの展開は哀感が漂っていて見事だ。ルイーズは金山を「白い馬に乗った王子さま」などと言うが、実は彼をそれほど好きではなかったのかもしれないと思わせる。ラストは実に哀しくて、いい。三島賞、大佛賞受賞作家原作の名画なのに、知られていないのは残念だ。
 もう一つは、昨年の映画、谷崎潤一郎原作の『卍』で、四回目の映画化だが、これも良かった。昭和初年の大阪を舞台にして、恐らくドイツのポルノ『ある歌姫の回想』をネタに谷崎が書いたもので、有閑夫人柿内園子が、画学校で知り合った美しい女徳光光子とのレズビアン関係に、女の恋人綿貫、園子の夫がからんだエロティックでデカダンな筋立てだが、最初の映画は園子が若尾文子、光子が岸田今日子で、これではヌードも見せられないし、岸田では美しいともいえなかった。今回は、一九七○年に舞台を移して、園子を、荒木経惟が見出した秋桜子(コスモスコ)が演じたが、これが美しい。意地の悪そうな目つきが、いかにも谷崎好みである。画面をセピア色にして、全体にB級映画の雰囲気が漂っているが、原作本来の頽廃的雰囲気をよく出している。ヌードもふんだんに見られるし、脇役陣、なかんずく『ロボコン』や『真夜中の弥次さん喜多さん』の怪演で知られる怪優・荒川良々の不思議な演技もいい。それで、三度目の映画化のVシネマ版『卍』も観たが、これは現代の鎌倉を舞台にしていて、筋立ても少し変わっていて最後がはしょってある。しかしここでの園子役がまたしても真弓倫子で、いい。初めてこの女優を見たが、アイド
ルからポルノに転向し、今では引退しているようだ。さほどの美人ではないのだが、見ているうちに味わいが出てくる上、表情の演技が巧くて、もっと見たい、あるいは復帰してほしいと思ったものだった。

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 さてそれとは別個に、かつて問題になったAV、『女犯2』を近所のヴィデオ屋で見つけたので買ってきた。何しろ、観るとトラウマになるといわれるほどのものなので、数日ためらっていたが、ある夜思い切って観たら、やっぱり恐ろしかった。強姦がどうしても演技に見えない。かといって、強姦ビデオを撮るのが目的だとしたら、この素人女を騙しているという設定にムリがあるような気もする。これについては当時(1992年)フェミニスト団体が問題にし、バクシーシ山下らは演技だと主張したというのだが、おかしいのは、フェミ二スト団体が設けた窓口に被害者が駆け込んでこなかったことをもって、だから演技なのだと主張する者がいたことで、強姦、しかもAV出演中の強姦など、忘れてしまいたいしこれ以上巻き込まれたくないから駆け込まなくても不思議ではない。しかしバクシーシを文化人扱いした朝日新聞系メディアは、杉田聡が言うとおり不見識である。『蜜室』の著者が逮捕されるなら、バクシーシこそ逮捕されるべきであろう。たとえ演技であってもね。