王柯『多民族国家中国』の漢民族帝国主義

 現在神戸大学教授の王柯は、東京大学で博士号をとり、その学位論文を一九九五年、『東トルキスタン共和国研究』(東京大学出版会)として刊行し、翌年のサントリー学芸賞を受賞している。主に一九四六年以前のウイグル独立運動を扱い、その背後にソ連があったことを強調しつつ、ソ連の援助なくして東トルキスタン独立は不可能だったとも書いている。そして、

 トルコ系イスラム住民によってイスラム聖戦の名の下に行われた民族独立運動は、その強大な求心力・生命力と破壊力で近現代の中国の国家権力を今も脅かしていると同時に、またその異種の性格で中華文明、中華国家の包容力を問い続けている。近現代の中国政治にとって、東トルキスタン民族独立運動の意義は、まさにここにあったといえよう。

 として、現在の中共政府が、新疆ウイグル自治区共産党書記長に漢民族を当てていることも記している。
 ところが、それから十年たって刊行された二冊目の著作『多民族国家中国』(岩波新書)では、中華思想漢民族ではない異民族が受け入れたために生まれたものであると述べられ、目立たない文言を用いつつも、よく読めば中華思想を肯定的にとらえ、中共独立運動弾圧を支持する内容のものである。王は、現在、民族独立運動チベットウイグルの二つしか(傍点)ないと言い、チベットでもウイグルでも独立運動は民衆の間で広く支持されていないと書いているが、これは中共政府の見解を代弁しているだけである。あるいは、ダライ・ラマノーベル平和賞を受賞してから「国際社会に呼びかけて中国に圧力をかけていたが、中国政府は動揺せず、ダライ・ラマの国際戦略はかえって中国と交渉する門を閉ざす結果を招いたことになる」と、あたかもダライ・ラマの責任のように書いているが、王にはそもそもチベット独立を支持する気などない。あるいは、今度はソ連ではなく、オサマ・ビンラディンらのイスラムのテロ組織とウイグル独立運動の結びつきを強調して、「テロ・民族分離主義・極端宗教主義」とその独立運動を名付けているが、では中共は「極端社会主義」ではないのかと言いたくなる(むろん社会主義は常に極端なものである)。さらに、ソ連が崩壊したために西欧諸国は、独立運動を「中国に対するカード」にしたと書いているが、そのことで独立運動自体を貶めようとしているのが透けて見える。
 その上、「あとがき」で王はこう書いている。

 中国がチベットや「東トルキスタン」の独立を絶対に認めない理由については、中国国外の研究者はドミノ理論でそれを解釈する傾向がある。つまりどこかひとつの地域の独立を認めれば、ほかの地域や民族にもかならず同じような動きが起こる。(略)しかし中国国民にとって、周辺の民族が中国に見切りをつけるということは、支配者の資質が問われる問題でもあり、多民族国家体制を維持できるかどうか、つまり「中国」が成り立つかどうかという根本的な問題にもかかわっている。たとえば、一九四五年の末、外モンゴルの実質的独立を認めた中華民国政府の指導者蒋介石は、まもなく大陸における支配力を失った。その教訓で、台湾に逃れた彼は、生涯外モンゴルの独立を承認せず、台湾で発行していた「中華民国地図」では外モンゴルを中国領のままにしたのである。


 これは恐ろしい文章である。なかんずく、「中国国民にとって」の箇所は、「漢民族にとって」でなければ意味が通らず、著者は無意識のうちに漢民族中心主義という本音を漏らしている。そのあとは、あたかも共産党と国民党といった漢民族間のヘゲモニーを握るために、少数民族を独立させてはならないと言っているとしか取れない。これでは帝国主義者の文章であり、中共支配が崩れることを著者は懸念しているのだとしか思えないのである。王の師に当たる山内昌之・東大教授もこれを書評して、苦言を呈している。 
 
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しかし、中世から近代まで「中国」「中原」とは異質な歴史を経験してきたラマ教文化世界の中華人民共和国統合はあまりにも性急におこなわれなかっただろうか。著者の観点からすれば、チベットはいにしえから「多元型」帝国の一部を構成してきたようにも理解できるが、それは中心・エリートの視角であり歴史の現実はまた別であろう。次の機会には、清朝から現代にいたるまで、周辺のチベットウイグルに住む人民にとって、そもそも「中国」と何か、「中華」とは何を意味したのかを探る視点も期待しておきたい。(『毎日新聞』二○○五年四月十日朝刊)