1966(昭和41)年
1月、藝術座で『細雪』上演。菊田一夫、浦島千歌子、岡田茉莉子、司葉子、団令子。
15日、増村保造監督『刺青』封切、若尾文子。
日本の文学『谷崎潤一郎集(二)』田村孝之介装画、中央公論社より刊行。
22日、川田順死去(84)。
3月10日、松子「細雪余談」『中央公論』4月号に掲載。
4月、NHK「この人、この道」で、茂山千作と井上八千代が、生島遼一の司会で谷崎の思い出を語る。
10日、川端龍子死去(80)
5月、角川文庫より『鍵・瘋癲老人日記』刊行、解説・佐伯彰一。
3日、小宮豊隆死去(82)。
10日、松子「源氏余香」『中央公論』6月号に掲載。
20日頃、『小説現代』7月号に「浄瑠璃人形の思ひ出」掲載。
6月7日、安倍能成死去(83)。
7月10日、松子「終焉のあとさき」『中央公論』8月号に掲載。
29日、松子「『吉野葛』遺聞」を『毎日新聞』に掲載。
30日、終平が一周忌の記事を「東京新聞」に書く。
10月、豪華版日本文学全集『谷崎潤一郎』、解説三島。
11月8日から20日、日本橋三越で「文豪谷崎潤一郎展」が開かれる。毎日新聞社主催、中央公論社後援。その後各地で開かれる。『毎日新聞』夕刊に、円地「熱海での谷崎先生」掲載。
10日、松子「秋声の賦」『中央公論』12月号に掲載。
15日、『谷崎潤一郎全集』全二十八巻が中央公論社より刊行開始。第一巻月報には、精二「いこじの精神」、君島「朶寮一番室」。
12月10日、松子「夏から秋へ」『中央公論』新年号に掲載。
15日、全集第二巻刊行、月報は伊藤、澤田卓爾「放浪時代の谷崎」、終平「回想の兄・潤一郎」連載開始。
1967(昭和42)年
1月25日、全集第三巻刊行、月報は里見「八重歯」、安田「谷崎さんと私」。
2月、舟橋聖一、藝術院会員。
7日、津島寿一死去(79)。
25日、全集第四巻刊行、江口渙「谷崎潤一郎の思い出」、瀬戸内「晶川への潤一郎の手紙」。
3月7日、松子「桜」『婦人公論』4月号に掲載。
10日、松子「薄紅梅」『中央公論』4月号に掲載。
25日、全集第五巻刊行、円地、中島河太郎。谷崎精二『明治の日本橋・潤一郎の手紙』新樹社より刊行。
4月25日、全集第六巻刊行、奥野信太郎、高橋義孝。
谷崎英男、早大商学部教授。
5月11日、轟夕起子死去(49)。
25日、全集第七巻刊行、小島「秘密の話」、吐夢「大正活映時代の人々」。
6月24日、全集第八巻刊行、東光「本牧時代」、吉村公三郎「『愛すればこそ』の映画化」。
28日、吉村公三郎監督『堕落する女』封切、桑野みゆき。
7月、谷崎松子『倚松庵の夢』中央公論社より刊行。円地、『源氏物語』現代語訳に着手。
25日、全集第九巻刊行、江藤淳、横関愛造(元「改造」編集長)「大震災ころの作家たち」。
29日、増村保造監督『痴人の愛』封切、安田道代、小沢昭一。
8月17日、新村出死去(91)。
25日、全集第十巻刊行、川口「プラトン社時代」、武田「『上海交遊記』時代の中国文壇」。
9月、日本の文学『谷崎潤一郎(三)』中央公論社より刊行、解説ドナルド・キーン。 25日、全集第十一巻刊行、河盛、小倉敬二(元朝日新聞出版局長)「『卍』と『黒白』のころ」。
10月、伊藤甲子之助『心孚庵高分子本』私家版に、「谷崎潤一郎と私」。
25日、全集第十二巻刊行、野村「『乱菊物語』と家島」、楢崎「『続蘿洞先生』始末記」。
11月3日、小林秀雄、文化勲章受章。
10日、後藤末雄死去(81)。
25日、全集第十三巻刊行、尾崎秀樹、佐藤観次郎「『春琴抄』の前後」。
12月10日、松子「二代目ペル」『中央公論』新年号に掲載。君島一郎『朶寮一番室』時事通信社より刊行。『風景』新年号に丸谷才一「谷崎松子の文体」。
18日、銭痩鉄死去(71)。
25日、全集第十四巻刊行、小田切進、観世栄夫「父・潤一郎と戯曲」。
『雪後庵夜話』中央公論社より刊行。
この年、現代日本文学館『谷崎潤一郎』、文藝春秋より刊行、注解・稲垣足穂、解説・伝記、井上靖。『谷崎潤一郎自選集』集英社より刊行。
Georges Renondeau 訳Journal d'un vieux fou, Gallimard より刊行。
1968(昭和43)年
1月25日、全集第十五巻刊行、丸谷才一、竹西寛子、野村「谷崎文学関西風土記」連載開始。
2月、伊藤整、藝術院会員。
24日、全集第十六巻刊行、瀧井「霊感の宝庫−−谷崎松子夫人」、矢部良策(創元社社長)「『春琴抄』前後の思い出」。
3月24日、全集第十七巻刊行、伊藤甲子之助(元高分子化学工業株式会社社長)「谷崎潤一郎と私」。同巻に「鴨東綺譚」収録の予定だったがとりやめ。
4月、精二、鶴見女子大学文学部英文科教授となる。
25日、全集第十八巻刊行、川口晃「秘書の思い出」、篠田一士。
5月25日、全集第十九巻刊行、水上勉「谷崎潤一郎先生のこと」、成瀬正勝「作家の運命」。
6月、鈴木信太郎、「雪後馮闌記−−谷崎さんの手紙」を『心』に掲載。新潮文庫『細雪』下巻改版、解説・磯田光一。
25日、全集第二十巻刊行、河上徹太郎、丸尾「谷崎先生の心の片隅に」。
7月25日、全集第二十一巻刊行、荒正人、山口広一「『或る時』のこと」。
8月24日、全集第二十二巻刊行、福原麟太郎「谷崎潤一郎全集成る」、生島遼一「谷崎さんのこと」。
9月21日、広津和郎死去(77)。
25日、全集第二十五巻刊行、玉上「谷崎源氏の思い出」、高木市之助「谷崎にとって訳ということの意味」入江「日本語への愛着」池田弥三郎「谷崎源氏年代記」始まる。 10月14日、沢瀉久孝死去(78)。
17日、川端康成、ノーベル文学賞受賞。
25日、新潮文庫より『鍵・瘋癲老人日記』刊行、解説・山本健吉。
11月か12月、川端が神田の一誠堂書店で岡田時彦の弔辞を発見、岡田茉莉子に報せて買い取る。
12月20日、石川達三『心に残る人々』(文藝春秋)で、伊勢、得三に会ったことを書く。
25日、全集第二十六巻刊行、中村真一郎、サイデンステッカー、土田直鎮「賀静の霊」
1969(昭和44)年
1月25日、全集第二十七巻刊行、大野晋、永井路子、角田文衛。
2月25日、全集第二十八巻刊行、榎「『少将滋幹の母』から『新訳源氏物語』へ」吉屋信子、長野嘗一。
網野菊、藝術院会員。
3月25日、全集第二十三巻刊行、丹羽、福永武彦。
4月、筑摩書房から現代日本文学大系『谷崎潤一郎集(一)』刊行。
5月、旺文社文庫より『細雪』刊行、解説・小田切進。
31日、鷲尾丁未子、子宮癌のため死去(62)、三隅研次監督『鬼の棲む館』(原作・無明と愛染)封切、勝新太郎、高峰秀子。
6月、旺文社文庫より『刺青・春琴抄他二篇』刊行、解説・長野嘗一。
円地文子、『朱を奪うもの』他で第五回谷崎潤一郎賞受賞。
11月、小島政二郎『聖体拝受−−人及び芸術家としての谷崎潤一郎』新潮社より刊行。 15日、伊藤整死去(64)。谷崎賞選考委員は遠藤周作が加わる。
この年、旺文社文庫『少将滋幹の母』刊行。
1970(昭和45)年
2月、円地文子、河盛好蔵、中村光夫、藝術院会員。
3月3日、佐藤観次郎死去(69)。
4日、鈴木信太郎死去(75)。
4月4日、池広一夫監督『おんな極悪帖』封切、安田道代、田村正和。
4月、『新潮日本文学 谷崎潤一郎集』刊行。
5月、鷲尾丁未子遺稿集『アメリカの旅』を中央公論事業出版より印刷。
7月、伊藤『谷崎潤一郎の文学』(中央公論社)刊行。小瀧瓔子「作家以前の谷崎潤一郎」『立教大学日本文学』。
30日、全集第二十四巻刊行、キ−ン、松子「松の木影」。
8月7日、内田吐夢死去(72)。
9月28日、伊藤甲子之助死去(82)
11月、筑摩書房現代日本文学大系『谷崎潤一郎集(二)』刊行。
3日、沖中重雄、棟方志功、文化勲章受章。
17日、「中央公論」千号記念と吉野賞・谷崎賞贈呈祝賀パーティーが帝国ホテルで。松子(67)千萬子(40)鮎子(55)出席。三島が、谷崎の嫌いな「金色の死」を取り上げたことを松子に詫びる。
25日、三島由紀夫割腹自殺(45)。
この年、鏑木清方装画『少年』限定版、中央公論社より刊行。
1971(昭和46)年
5月5日、長尾伴七『京の谷崎−−潺湲亭訪問記』(駸々堂)刊行。
6月13日、日夏耿之介死去(81)
7月、講談社文庫『盲目物語・春琴抄』刊行、解説・磯田光一。
10月21日、志賀直哉死去(88)。
11月、講談社文庫『痴人の愛』、解説・磯田光一。
3日、中村勘三郎、水谷八重子、森戸辰男、文化功労者。
12月14日、谷崎精二死去(81)。
1972(昭和47)年
2月、宇野千代、藝術院会員。
4月16日、川端康成自殺(73)。
5月25日、野村尚吾『伝記 谷崎潤一郎』(六興出版)刊行。
三島に代わり、大江健三郎が谷崎賞選考委員となる。
丸谷才一、『たった一人の反乱』で第八回谷崎潤一郎賞受賞。
9月、円地訳『源氏物語』第一巻刊行。
5日、高木治江死去(65)。
10月10日、丸谷才一「谷崎潤一郎の文体」『中央公論』11月号。
11月3日、中村歌右衛門、文化功労者。
12月29日、新藤兼人監督『讃歌』(原作・春琴抄)封切。
1973(昭和48)年
1月から12月まで、『谷崎潤一郎文庫』全十二巻、六興出版より刊行。
2月13日、池島信平死去(64)
4月23日、阿部知二死去(70)。
30日、大佛次郎死去(76)
6月、綾部瓔子「『青春物語』補遺」『立教大学日本文学』。『解釈と鑑賞』特集・唯美の系譜 泉鏡花と谷崎潤一郎。
9月29日、北原武夫死去(66)
11月3日、川口松太郎、文化功労者。
30日、土屋計左右死去(85)
12月、中公文庫『鍵』、解説・綱淵謙錠。
『潤一郎訳源氏物語』全五冊、『文章読本』六興出版より刊行。
1974(昭和49)年
1月11日、山本有三死去(87)
4月18日、渡辺重子死去(69)。
中公文庫『台所太平記』刊行、解説・阿部昭。
5月4日、神代辰己監督『鍵』封切、観世栄夫、荒砂ゆき。
臼井吉見、『安曇野』で第十回谷崎潤一郎賞受賞。
11月3日、橋本明治、文化勲章受章。杉村春子、滝井孝作、文化功労者。
12月7日、『海』一月号より今東光の谷崎回想記『十二階崩壊』連載(77年7月号まで)
1975(昭和50)年
1月、中公文庫『文章読本』、解説・吉行淳之介。
7日、林伊勢「潤一郎・精二とその弟妹−−或るブラジル移民の話」『新潮』2月号。
18日、江口渙死去(88)。
2月、臼井吉見、藝術院会員。
5月15日、野村尚吾死去(63)。
8月7日、谷崎終平「“醜い家鴨の子”たち−−ブラジルの姉・林伊勢へのモノローグ」舟橋聖一「谷崎潤一郎」『海』9月号。
水上勉、『一休』で第十一回谷崎潤一郎賞受賞。
9月7日、舟橋「谷崎潤一郎(続)」『海』十月号。光源氏が嫌いなどと書いたのは耄碌していたのではないか、と書く。
10月10日、中公文庫『陰翳礼讃』刊行、解説・吉行淳之介。
27日、角川源義死去(58)
11月、ジュニア版日本の文学『母を恋うる記』集英社より刊行。
3日、井上八千代、舟橋聖一、文化功労者。
1976(昭和51)年
1月13日、舟橋聖一死去(72)。
2月、石川達三、芸術院会員。
4月9日、武者小路実篤死去(91)
6月26日、高畠達四郎死去(81)。
舟橋に代わり、吉行淳之介が谷崎賞選考委員となる。
9月、河野多恵子『谷崎文学と肯定の欲望』中央公論社より刊行。
12月15日、『舟橋聖一源氏物語』全二巻、平凡社より刊行、題字松子、未完。
25日、東宝『春琴抄』封切、西河克己監督、山口百恵、三浦友和。
1977(昭和52)年
1月、中公文庫『瘋癲老人日記』、解説・吉行淳之介。
2月、『文芸読本 谷崎潤一郎』河出書房新社。
4月25日、秦恒平『神と玩具との間』六興出版、妹尾より書簡提供を受ける。
5月、『谷崎潤一郎家集』湯川書房。
6月、高木治江『谷崎家の思い出』構想社より刊行。
9月19日、今東光死去(79)。
25日、笹沼喜代子死去(84)。
11月3日、丹羽文雄、文化勲章受章。
Seidensticker and Thomas Harper 訳In Praise of Shadows, Leete's Island Booksより刊行。
Rene Sieffert 訳Eloge de l'omble, Publications orientalistes de Franceより刊行。
1978(昭和53)年
1月30日、今東光『十二階崩壊』中央公論社より刊行。
3月、中公文庫『人魚の嘆き・魔術師』、解説・中井英夫。
4月25日、東郷青児死去(81)
5月15日、網野菊死去(78)
8月10日、林伊勢『兄潤一郎と谷崎家の人々』九藝出版から刊行。『國文學』谷崎潤一郎 美とエロスの航跡。
武田泰淳死去の空席で丸谷才一が谷崎賞選考委員となる。
中村真一郎、『夏』で第十四回谷崎潤一郎賞受賞。
11月3日、小倉遊亀、今日出海、文化功労者。
12月1日、楢崎勤死去(77)。
1979(昭和54)年
5月、松子編『谷崎潤一郎の書』五月書房。
11月3日、中村歌右衛門、文化勲章受章。円地文子、文化功労者。
1980(昭和55)年
1−12月、松子「源氏歳時記」を『家庭画報』に連載。
3月15日、高林陽一監督『ナオミ』封切、水原ゆう紀。
4月、栗本和夫死去(69)
5月、渡辺たをり(26)『祖父 谷崎潤一郎』六興出版より刊行。
河野多恵子、『一年の牧歌』で第十六回谷崎潤一郎賞受賞。大岡、谷崎賞選考委員をこれで終わる。
11月3日、小倉遊亀、中村勘三郎、文化勲章受章。
1981(昭和56)年
1月、中公文庫『月と狂言師』刊行。
3月から『学鐙』に谷崎松子「湘竹居追想」連載。
5月から、愛読愛蔵版『谷崎潤一郎全集』全三十巻が中央公論社から刊行開始(83年11月完結)。
10日、谷崎松子「主おもむろに語るの記」『中央公論』6月号。
6月13日,森田詮三死去(88)
Anthony Chambers訳The Secret History of the Lord of Musashi, Knopfより刊行。
8月、サバルワル、ニューデリーで死去(87)。
後藤明生『吉野太夫』、深沢七郎『みちのくの人形たち』、第十七回谷崎潤一郎賞受賞。深沢は同作品の川端康成文学賞を断っての受賞。
26日、歌舞伎座で武智鉄二古稀記念「恐怖時代」上演、歌右衛門、鴈治郎。
9月1−25日、歌舞伎座夜の部で、「恋を知る頃」初演、武智補綴・演出。おすみ田之助、おきん宗十郎、利三郎孝夫。十七回忌にちなんだもの。
12日、武智鉄二監督『白日夢』封切、愛染恭子、佐藤慶。
11月7日、樋口富麻呂死去(83)。
1982(昭和57)年
4月7日、田岡典夫死去(74)。
6月1日−27日、明治座で、山本富士子特別公演『春琴抄』、榎本滋民脚本、松浦竹夫演出、佐助・坂東吉弥。
7月22日、佐藤千代死去(85)。
8月11日、嶋川信一死去(73)。
1983(昭和58)年
1月21日、里見紝死去(95)。
1月、中公文庫『細雪』刊行、解説・田辺聖子。
2月12日、横山博人監督『卍』封切、原田芳雄、樋口可南子、高瀬春菜。
19日、武智鉄二監督『花魁』封切、親王塚貴子。原作は「刺青」「人面疽」
3月、「湘竹居追想」完結。
21日、市居義彬『谷崎潤一郎の阪神時代』曙文庫より刊行。
5月1日、稲沢秀夫『聞書谷崎潤一郎』思潮社より刊行。
10日、『解釈と鑑賞』特集=谷崎潤一郎
21日、東宝、市川崑監督『細雪』封切、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子、石坂浩二、岸恵子。
6月、『湘竹居追想−−潤一郎と『細雪』の世界』中央公論社より刊行。
12月24日、若松プロ、木俣堯喬監督『鍵』封切、岡田真澄、松尾嘉代。
この年、イタリアのティント・ブラス監督による『鍵』映画化。
1984(昭和59)年
1月、『家庭画報』に松子の追想記「八景亭と湖魚料理」。
2月7日から19日、銀座鳩居堂画廊で「谷崎潤一郎「墨の世界」展」、後援朝日新聞社、協力中央公論社。
東京宝塚劇場開場五十周年記念公演「細雪」、脚本菊田一夫、演出水谷幹夫、淡島千景、新珠三千代、多岐川裕美、桜田淳子。
15日、渋沢秀雄死去(92)
3月、森田朝子死去(85)。
4月17日、市田ヤエ死去(74)
5−6月? 渡辺たをり、高萩宏(30)と結婚。『FOCUS』6月17日号に記事。
7月10日、中公文庫『武州公秘話・聞書抄』刊行、解説・佐伯彰一。
9月10日、中公文庫『青春物語』刊行、解説・磯田光一。
10月、『中央公論文芸特集』復刊第1号で「特集・仕事部屋の谷崎潤一郎」、水上「谷崎先生の書簡」、河野「聞いたこと思ったこと−谷崎松子との対話」、中村真一郎「谷崎潤一郎の創作ノート」、未発表ノート「續松の木影」。「生誕100年・谷崎潤一郎・人と文学展」開催。
11月21日、瀧井孝作死去(90)。
12月22日、にっかつ、曽根中生監督『刺青 IREZUMI』封切、伊藤咲子。
1985(昭和60)年
1月、中公文庫『痴人の愛』刊行、解説・河野多恵子。
2月23日、国立能楽堂で玉鑾会谷崎生誕百年記念能、富久子の砧、松子の舞台挨拶。
3月20日、妹尾健太郎死去(81)。
6月9日、川口松太郎死去(86)。
8月10日、『國文學』生誕百年谷崎潤一郎特集。
16日、篠田一士編『谷崎潤一郎随筆集』岩波文庫から刊行。
9月10日、中公文庫『蘆刈・卍』刊行、解説・河野多恵子。
11月3日、円地文子、文化勲章受章。田村孝之介、文化功労者。
10日、南条秀雄死去(64)
16日、NHKで単発ドラマ『谷崎その愛』放送。
Anthony Chambers訳Naomi, Knopf から刊行。
Rene de Cecatty and Ryoji Nakamura訳Svastika, Quatre souers, La confession impudique, Journal d'un vieux fou, Gallimard より刊行。
この年、イタリアのリリアーナ・カヴァーニ監督による「卍」の映画化『ベルリンの愛』。
1986(昭和61)年
1月、中公文庫『春琴抄・吉野葛』刊行、解説・河野多恵子。
3月、『墨』谷崎潤一郎特集。
15日、『毎日新聞』大阪版夕刊に「谷崎潤一郎の“忍ぶ恋”」として宮田絹枝宛手紙紹介。
7月、国立文楽劇場上演資料集別冊『春琴抄読本』
10月19日、柏木慶子「モデルが明かした『痴人の愛』の真相」『新潮45』11月号。
11月14日、円地文子死去(81)。
1987(昭和62)年
5月30日、帝国ホテル牡丹の間にて谷崎二十三回忌。キーン、サイデンステッカー、水上勉、淡路恵子、鹿島登代子、江藤喜美子、笹沼宗一郎。
8月18日、深沢七郎死去(73)
この年、オランダで『瘋癲老人日記』映画化。
1988(昭和63)年
2月、水上勉、藝術院会員。
4月7日、終平「兄・潤一郎と千代夫人のこと」『文學界』5月号で、千代と大坪砂男の情事明らかにされる。
5月17日、小泉得三死去(95)
7月26日、武智鉄二死去(76)
10月8日、芦屋市谷崎潤一郎記念館開館。同月、小瀧穆死去(73)。
11月17日、辻嘉一死去(81)
Paul McCarthy 訳Childhood Years: A Memoir、講談社インターナショナルより刊行。
Matsui Sakuko 訳A Cat, Shozo, and Two Women, Wild Peony より刊行。
Rene de Cecatty and Ryoji Nakamura訳La vie secrete du seiegneur de Musashi, Suivi de le lierre de Yoshino, Gallimardより刊行。
Marc Mecreant 訳Un amour insense, Gallimard より刊行。
1989(昭和64・平成元)年
2月3日、青山虎之助死去(75)
河野多恵子、藝術院会員。
4月21日、笹沼宗一郎死去(76)
7月25日、小山いと子死去(88)
7月、ちくま文庫より、種村季弘編『美食倶楽部−谷崎潤一郎大正作品集』刊行。
8月15日、谷崎終平『懐しき人々−−兄潤一郎とその周辺』文藝春秋より刊行。
21日より、東京新聞夕刊で伊吹和子(60)「文豪の日々」連載始まる。
1990(平成二)年
1月、市居義彬『谷崎潤一郎和歌集』曙文庫より刊行。
7月、『季刊文学』「谷崎潤一郎−−語りからテーマへ」
8月、林光夫、谷崎の丁未子宛書簡三通を武庫川女子大助教授たつみ都志(40)に見せ、秘密を守るよう頼む。
10月14日、谷崎終平死去(82)
11月3日、井上八千代、文化勲章受章。宇野千代、文化功労者。
Paul McCarthy 訳A Cat, a Man, and Two Women,講談社インターナショナルより刊行。
1991(平成三)年
2月1日、谷崎松子死去(88)、著作権は観世恵美子に渡る。
3月10日、水上勉『谷崎先生の書簡−−ある出版社社長への手紙を読む』、中央公論社より刊行。
27日、鹿島登代子死去(80)
5月、ちくま日本文学全集『谷崎潤一郎』刊行。
10日、小学館より『群像 日本の作家 谷崎潤一郎』刊行、巻頭に谷崎昭男(47、相模女子大学教授)のエッセイ、著者代表も昭男。
8月、『谷崎潤一郎犯罪小説集』集英社文庫より刊行、解説・渡部直己。
東大阪市での、元読売新聞記者西口孝四郎の講演に、林光夫が丁未子宛書簡を持ってくる。
21日、手紙の件で読売と毎日からたつみに確認の電話、たつみ憮然とする。
22日、読売新聞が丁未子宛書簡発見を報道。
23日、毎日新聞が報道。
12月、稲沢秀夫『秘本谷崎潤一郎 第一巻』烏有堂より刊行。
Marc Mecreant 訳L'affaire du Yanagiyu et autres recits etranges, Galliard より刊行。
1992(平成四)年
2月、『解釈と鑑賞』谷崎潤一郎の世界
5月、『鳩よ!』日本文学の巨人谷崎潤一郎
7月、『秘本谷崎』第三巻刊行。
10月、『秘本谷崎』第四巻刊行。
12月17日、澤野久雄死去(80)
1993(平成五)年
1月、『秘本谷崎』第五巻刊行。
3月、たつみ都志「知られざる古川丁未子(1)」『芦屋市谷崎潤一郎記念館ニュース』。写真に撮っておいた丁未子宛書簡を公開。
10日、「佐藤春夫への手紙」『中央公論』4月号に発表、解説・水上勉。
5月、中公文庫より『盲目物語』刊行、解説・佐伯彰一。
6月、「知られざる古川丁未子(2)」。中公文庫より『お艶殺し』刊行、解説・佐伯彰一。
7月、芦屋市谷崎潤一郎記念館「志賀直哉と谷崎潤一郎」展。
10月13日、「文豪の日々」最終回。
12月、『國文學』「谷崎潤一郎 問題としてのテクスト」
Marc Mecreant 訳Anees d'enfance, Gallimardより刊行。
1994年(平成六)年
1月16日、竹田鮎子死去(77)
2月18日、伊吹和子『われよりほかに 谷崎潤一郎最後の十二年』講談社より刊行、日本エッセイストクラブ賞受賞。
3月24日、小島政二郎死去(100)
4月7日、竹田龍児死去(86)慶応大学名誉教授、東洋史。
6月7日、林伊勢死去(93)
11月3日、市川崑、安川加寿子、文化功労者。
Chambers訳Reed Cutter and Captain Shigemoto's Mother, Knopf より刊行。
Hibbett 訳Quicksand, Knopfより刊行。
Cecil Sakai and Jean-Jacques Tschudin 訳Le chat, son maitre et ses deux maitresses, Gallimard より刊行。
1995(平成七)年
1月17日、兵庫県南部大地震で、梅ケ谷の屋敷倒壊。
6月13日、福田清人死去(91)
6月、中公文庫より『乱菊物語』刊行、解説・佐伯彰一。
12月、芦屋市谷崎潤一郎記念館資料集1、映像・音声資料、細江光監修、刊行。
1996(平成八)年
4月14日、綱淵謙錠死去(72)
6月10日、宇野千代死去(99)
23日、和嶋せい死去(94)
8月30日、玉上琢弥死去(81)
9月、千葉俊二編解説『作家の随想 谷崎潤一郎』日本図書センターより刊行。
29日、久保一枝死去
10月、芦屋市谷崎潤一郎記念館資料集2『雨宮庸蔵宛谷崎潤一郎書簡集』刊行。
1997(平成九)年
4月3日、嶋中鵬二死去(74)
4日、嶋川信子死去(86)
10月18日、池田敏春監督『鍵』封切、川島なお美、柄本明。
11月3日、瀬戸内寂聴、文化功労者。
翌年にかけてPleiade より二巻の谷崎集刊行。訳者はAnne Bayard-Sakai, Mecreant, Jacqueline Pigeot, 二宮正之、安斎和雄注釈。
1998(平成十)年
3月6日、徳間『卍』封切、服部光則監督、坂上香織、真弓倫子、平泉成。
4月、岩波文庫より『幼少時代』刊行、解説・千葉俊二。
5月、中公文庫より千葉俊二編『潤一郎ラビリンス』全十六冊刊行開始(九九年八月完結)。『國文學』「谷崎潤一郎 いま、問いなおす」、千葉俊二による渡辺千萬子インタビュー。
7月、ランティエ叢書『東西味くらべ』、角川春樹事務所より刊行。
10月、谷崎松子『葦辺の夢』中央公論社より刊行。
3日から11月8日まで、神奈川近代文学館で谷崎潤一郎展開催。
11月3日、水上勉、白川静、文化功労者。
11日、淀川長治死去(89)
1999(平成十一)年
3月、芦屋市谷崎潤一郎記念館資料集3『久保家所蔵久保一枝・久保義治宛書簡』刊行。
4月、『作家の自伝 谷崎潤一郎』千葉編・解説で日本図書センターより刊行。
5月10日、『中央公論』6月号で、渡辺千萬子、瀬戸内寂聴対談。
6月、谷崎秀雄「鞆の浦(一)」『芦屋市谷崎潤一郎記念館ニュース』に発表。
8月、『潤一郎ラビリンス』完結。
10月、秀雄「鞆の津(二)」。
12月2日、雨宮庸蔵死去(96)
2000年
2月、秀雄「鞆の浦(三)」。
2001年
2月7日、『谷崎潤一郎=渡辺千萬子往復書簡』、中央公論新社より刊行。
6月、『解釈と鑑賞』「谷崎潤一郎を読む」
9月12日、菊原初子死去(102)
11月、『明治の文学 永井荷風・谷崎潤一郎』筑摩書房より刊行。
10日、千葉俊二監修『國文學別冊 谷崎潤一郎必携』刊行。
Chambers and McCarthy 訳A Gourmet Club, 講談社より刊行。
2002年
1月、中公クラシックス『陰翳礼讃』刊行。
11月3日、ドナルド・キーン、河野多恵子、文化功労者。
2004年
6月、中公文庫より『歌々板画巻』を刊行。
9月8日、水上勉死去(85)
10月、大人の本棚『谷崎潤一郎上海交遊記』、みすず書房。
11月3日、白川静、文化勲章受章。
2005年
3月、講談社文芸文庫より『金色の死』刊行。
4月20日、丹羽文雄死去(100)
2007年
6月、観世栄夫死去(79)
8月26日、エドワード・サイデンスティッカー死去(89)
9月、中公文庫より『夢の浮橋』刊行。
10月29日、谷口千吉死去(95)(谷崎が礼讃した「暁の脱走」)
11月、茂山千作、文化勲章受章。
2008年
5月、『谷崎先生の手紙 増補版』が千葉俊二の編纂で中央公論新社より刊行。
7月6日、泉名月死去、74歳。
9月3日、初代富山清琴(清翁)死去、94歳。
2009年
1月5日、川口秀子死去、86歳。
5月、映画「白日夢」(愛染恭子、いまおかしんじ監督)
9月、DVD『刺青 匂い月のごとく』『刺青 背負う女』発売。
2010年
8月23日、佐藤方哉、新宿駅で事故死、77歳。
9月、『谷崎潤一郎マゾヒズム小説集』集英社文庫刊行。
12月4日、茂山千之丞死去、87歳。
2011年
10月、帝劇で『細雪』、高橋恵子、賀来千香子、水野真紀、中越典子、篠田三郎。
11月3日、宮本信太郎死去、99歳。