浅田彰は、「自分はこう思った」などとぬけぬけと書いてさまになるのは谷崎潤一郎くらいの人物だけだといったそうで、高田里恵子さんはこれを読んで、そうなんだよなあと思ったという。いや別に浅田の言うことをいちいち気にする必要はないだろう、と前に書いたのだが、考えてみると谷崎先生というのは、ほとんど批判されない作家である。
谷崎先生の研究者や研究書は、思ったより少ない。東大では、学生に読ませたくない作家にあげる教授もいたらしい。しかし、梶井基次郎のようなマイナー作家を別にすると、これほど批判されない作家も珍しい。存命中こそ、「思想がない」(佐藤春夫)などと言われたが、80年代以降は、蓮實先生が批判するような褒めるようなことを言ったり、中上健次も「物語の豚」などと言いつつ結局は江藤淳と二人で谷崎礼賛をしていたし、河野多恵子は『細雪』は認めないがあとは絶賛だし、丸谷才一も尊敬おく能わずである。
山崎安雄『著者と出版社』によると、中央公論社の至宝『細雪』が1954年2月、角川書店の『昭和文学全集 続・谷崎潤一郎集』に入ったので、嶋中鵬二はショックを受けて谷崎を訪ね恨みごとを言った(これは重言か)ところ谷崎も高血圧が悪化、嶋中も病に倒れ、谷崎は嶋中に、決して中公を見捨てるようなことはないと手紙を書き、角川源義も嶋中を見舞って詫びたとある。しかし谷崎‐嶋中往復書簡に、このことはない。4月15日の谷崎からの書簡には、病気快癒の由、あまり図に乗らぬよう、とあって、ちょっと違う気がする。