18世紀中ごろのフランスで「ブフォン論争」という音楽論争があった。1752年に、イタリアの喜歌劇を上演するバンビーニ一座がパリに来て、幕間劇としてペルゴレージの「奥様女中」を上演して好評を得たところから、イタリア音楽のほうがフランス音楽より良いとする「王妃方」と、フランス音楽を擁護する「王方」が論争を行ったのである。
この時、フランス音楽を擁護したのは、当時のフランス音楽の重鎮だったジャン=フィリップ・ラモーで、イタリア音楽派として論戦を行ったのはドイツ人の啓蒙思想家メルキオール・グリム、『人間不平等起源論』などの評論のほか、「村の占い師」のようなオペラの作者としても名をあげていたジャン=ジャック・ルソー、そして本来はラモーの崇拝者だったはずの数学者で『百科全書』の編纂者だったダランベールらである。
この論争は、単に音楽に関するものであるだけではなく、貴族の鑑賞物だった当時のオペラに対し、民衆の娯楽としてのイタリアのブッファ(喜劇オペラ)を打ち立てての階級闘争の意味もあり、そのためブフォン論争と呼ばれた。
ルソーはこれより前の無名時代に、ヴェネツィア公使の秘書としてヴェネツィアに滞在し、イタリア音楽が好きになっていたということがあったが、ラモーには、自分が作った音楽を見てもらったが、冷たいあしらいを受けたという過去もあった。
しかし、ルソーとラモーの論争を見ると、ラモーが和声の重要性を説くのに対し、ルソーは旋律の統一性を重んじている、それが気になった。
私は大学院に入った当時、オペラと歌舞伎の比較というのを研究題目に掲げていたため、和声の勉強をしなければならないと『和声学』という本を買ってきて読み始めたが、途中で、これは子供のころからピアノをやっているとかそういう人でないと理解不能だ、と投げ出してしまったことがある。それから40年くらいたつが、私はいつも、音楽の専門家が何かというと和声の話をするのを不思議な気持ちで聞いてきた。最近はYouTubeで音楽の解説をしてくれる人がいて、実際に曲を流しながらの分析なので、難しくて分からないながらも面白い。しかし、ここでも二言目には和声の話であって、どうすればチャイコフスキーやドヴォルザークのような魅力的なメロディーが作れるのかという話はしてくれない。もちろん、そういう古典的な作曲家でない、現代の曲についてもしてくれない。だがそれは仕方がないので、どうすれば優れた旋律が作れるかということは理論化できないから、ここの和声はどうこう、という話しかできないのである。
18世紀当時は、またポリフォニー音楽というものが一般的ではなく、複旋律などもあったから、ルソーは、旋律の統一といったのは、その後西洋音楽で一般的になるポリフォニーを主張したわけではなさそうだが、それも20世紀はじめの前衛音楽では再度非ポリフォニーの音楽が出てきたりする。
この、優れたメロディーの作り方は教えられないという現象は、小説の書き方の本についても同じことが起きていて、小説の書き方の本には、文章の技術とか、語り手の構造とか、視点を定めるとかいう技術的なことは書いてあるが、どうすれば魅力的な筋立てが作れるかということは書いてないことが多い。最近は確かに、ストーリー作りのヒントも書いてあることもあるが、結局面白い筋や素晴らしいメロディーを作るのは天与の才能であって理論ではないということか。
(小谷野敦)