書店へ行ったら来年の大河ドラマの関連本がいくつも並んでいたが、今年は立ち読みする気も起きない。何しろ近年の大河ドラマの傾向として、女が主人公になると、その時代としてありえない、ことが次から次へと出てくるのが常道だから、いや〜な予感がするのである。
だいたい、これで喜ぶのは福島の人というより同志社の人ではないか、というのもある。会津というのは福島の一部に過ぎず、また会津武士というのもまたそのさらに一握りでしかない。
考えてみると、どうやら私は、戊辰戦争で敗れた会津悲話というのが嫌いなのである。これは以前、『獅子の時代』で菅原文太が、「石光真清の手記」を原作として活躍したが、まあ途中から、当初予定されたストーリーとは違う方向へ行ってしまった。司馬遼太郎の『王城の護衛者』も、早乙女貢の『会津士魂』も読んでいない。津村節子の『流星雨』を読んだくらいか。
なんで嫌かというと、いろいろある。佐々城豊寿が国木田独歩を差別したという、武家意識が嫌だというのがあるし、白虎隊のお涙ちょうだい劇も嫌いである。子供だからかわいそうというのは、いつも私は変だと思っている。要するに時勢遅れの連中ではないか。
実は、敗北会津ものというのは、左翼の間でちょっと流行ったともいえるのである。石光真清もそうだが、あれは文章がよくない。真清の文章そのものではなく書き直してある。かといって、石光真人の『ある明治人の記録』も感心しないのである。これらの本は呉智英さんが勧めていたから読んだのだが、明治の裏側を知る、というのである。だが、私は元来、明治がそんなに明るいものだとは思っていないし、裏側なら大逆事件とかのほうが好きだ。
会津武士が下北半島へ転封されて苦労したという話も、あれは武士だけであって、農民には関係ない話なのである。つまり会津の人間でも、武士以外は関係ないのに、会津の人間みなが「ああご先祖さまがあ」とか思うと思っていたら間違いだろうと、そう思うのである。
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