「ヌエのいた家」は、もとは「ヌエ記」という題で、編集部の要請で改題したのだが、実は編集部に持ち込む際、冒頭の一部を削除している。あまりに生々しいと思ったからである。ヤケなのでここで公開する。

 ヌエが死んだあと、私は二度ほど実家へ行って、諸手続きをしていた。母は発病してから、家にいる時は、もとは弟の部屋だった室のベッドで休んでいたが、その枕元の、小さな引出の中に、母の手帳を見つけた。それは、がんが発見されて半年ほどたち、がんセンターの治療が終わった五月から七月ころまでのものだった。母が死んだあと、これはその時まで見つけていなかったものだった。
 それは細かな字で綴られていたが、ヌエが暴言を吐いた、その言葉がそのまま、後ろのほうのページに「これがほんとうの夫の言ったこと」として記されていた。
 それはどうやら、夏なのですだれを表の窓に取り付けるため、ヌエが買ってきてやっていたがうまくいかず、母が、「やったことないからね、お父さんには難しいでしょう」と言ったところで、激昂して言ったものらしい。
 「このくそあま、てめえなんかしんじまえ、ちきしょう! このくそあま、てめえなんかといっしょにすんでいたくないんだよ。さっさとしんじまえよ。うっとうしいんだよ。しんじまえ、しんじまえ、しんじまえ」
 妻は、母が死んだあと、実家のあちこちを整理したから、きっとこの手帳は、私に見せないように隠していたのだろうと思った。
 私は重い心を抱いて、その手帳を鞄に入れ、帰路についた。途次、むかしイトーヨーカ堂があった後にできたスーパーの片隅にある、文具屋を兼ねた書店へ入った。そこに、『夫源病』という本があった。後で気づいたのだが、それは一般書ながら、私が昔勤めていた大学の出版会から出ていた。私は、母の病気はまさに夫源病だったなと思った。
 息を詰めるようにして帰宅した私は、妻が仕事で留守にしているマンションの自宅へ入ると、
 「ヌエ、お前、死んでて良かったな」
 と、大きな声で叫んだ。