引退の辯

 芥川賞の選考が済んだ。私はその結果に不満であるのみか、小川洋子の談話によって報道された講評がまったく的外れであることに失望した。もともと、そんな賞ではないか、東浩紀とお前は同じか、と言われれば一言もない。
 選考委員のそれぞれがどうであったかは知らない。だがその全員を私が批判したことがある、というのは、やはり大きかったのだろう。にしても、純文学の賞であるはずなのに、なぜ通俗作家ばかりが選考委員をしているのだろう。黒井千次島田雅彦など、受賞してなくても選考委員になれるなら、なぜ純文学一筋で来た津島佑子金井美恵子がいないのか。
 この結果を見る時、個別にはどうかは知らないが、総体としてこれら選考委員は、文学が分かっていない連中だと判断せざるをえないし、私の候補作のほうが、これら選考委員の書く小説よりも優れた純文学だと信じている。
三島由紀夫芥川賞の選考委員になった時、議論が公正なのに驚いた、と川端康成宛の手紙に書いている。ふしぎなことに、文壇政治家の川端は、自分の弟子の石濱恒夫や澤野久雄に受賞させることができなかった。しかし三島が選考委員をしていた時期は、阿部昭後藤明生が毎回落とされていた時期であり、本当に公正であったかどうか、知らない。丸谷才一がその時期に受賞しているが、丸谷と三島は同年で、丸谷は三島に否定的だったので、遅れたという説がある。年齢的には、私と島田や小川洋子がそういう関係にあるといえよう。私はこの二人とも、純文学作家だとは思っていないし、いわんや高樹のぶ子宮本輝は、直木賞に移ったらどうかと思う。
 したがって、私はここで芥川賞とオサラバする。もっとも私がオサラバしても、誰も引き留めてはくれないだろうが、現在切に願うのは、選評で私の作に触れないでほしいということである。あなたたちには、その資格がない、つまり文学者ではないからである。さようなら。
小谷野敦

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そういや、『文學界』で相馬悠々が、文藝雑誌の書評はみんな仲間褒めだと言っていて、それはその通りだが、それが実名だからで、匿名にすれば本物の書評になるなどとほざいていたが、そりゃ違うだろう。文藝雑誌の編集部がそういう書評しか載せないだけのことで、私なんかいつも実名で書いているが、だから文藝雑誌の書評は書かせられないのである。