松本道介という独文学者

平川先生が引用していたので、松本道介(1935- )の、『極楽鳥の愁い』(鳥影社)を図書館で借りてきた。これは、著者が『季刊文科』(作品社)に連載しているものを本にしたもので、これで四冊目であり「視点4」となっている。
 松本道介は、中央大学名誉教授のドイツ文学者で、『文學界』にも時どき書いていたが、これまでノーマークだった。
 で、読んでみると、ドストエフスキーの『罪と罰』が批判されていて、それはまったく私と同意見なのだが、それが元凶で二十世紀の小説は衰退したのだ、というのは違うだろう。
 あと、三年前から歌舞伎や落語を観たり聞いたりし始めて魅力にはまっているというから、70過ぎてからということになろうか。ドイツ文学者だから、オペラはずっと見聞きしていて、日本リヒャルト・シュトラウス協会の運営委員だというのだが、まあ日本人が七十過ぎて歌舞伎や落語を初めて、というのも、外国文学者にそういう人は多いので驚きはしない。私はどちらも見聞きするが、それは比較文学者だからではない。松本は小堀桂一郎を「畏友」と書いているが、芳賀、平川、小堀といった人たちは、歌舞伎も落語もほとんど知らないだろう。丸谷才一も、割と齢がいってから歌舞伎を観始めたようで、世代的な問題かと思う。
 だから何だか、いま日本の伝統芸能と恋愛を始めたばかり、みたいな感じがするのである。それに事実誤認もあって、桑原武夫の『第二藝術』はなぜ誰も反論しなかったか、などと考察しているのだが、反論は十分にあった。何しろこの人は学者と学問が嫌いだと言う。それで中大名誉教授なんだから、いい気なもんだと言うほかない。 
 ただなんか全体に、いろいろなことを知らないんだからしょうがない、という気がしてしまうのはなんでなんだろう。 
 しかしよくこんな本を出してくれるものだと思う。鳥影社だから、著者がカネを出しているのだろうか。売れないと思うのだが。
小谷野敦