保苅瑞穂先生とヴォルテール

私が1987年に比較文学の大学院に入った時、保苅瑞穂先生も比較の担当教員の一人だった。その当時は、芳賀、平川、小堀、川本など固定した教員のほかは、駒場のだいたい語学教員からのローテーションで回ってきていて、保苅先生もその一人で、当時ちょうど50歳だったが、特に目立った人ではなかった。もともとサークルの一つ後輩だった西川という男は、私が一浪したため大学院で同期になったのだが、「若い先生のほうがあとあとまで残って面倒を見てくれる」という理由で保苅先生を指導教官にしていた。

 しかし保苅先生は東大を定年になってから、どんどん著書を出すようになって、あれあれと思っていたら読売文学賞も受賞して、先ごろ亡くなった。驚いたことに文芸誌『すばる』にも追悼文が載っていて、読んでいたら『ヴォルテールの世紀』というの大著があると書いてあったので、図書館から借りてきた。

 私はヴォルテールは、『カンディド』と『哲学書簡』を読んだのだがどっちも面白くはなかった。私はルソーの愛読者だがヴォルテールは分からなかった。そこで保苅先生の本を読み始めたら、やっぱり肌が合わないのである。ヴォルテールはいかにもアンシアン・レジームのフランス人という感じがして、愛人を妊娠させたりするし、かといってそれをルソーのように『告白』に書いたりしないし、『人間不平等起源論』などを書いてフランス革命を準備したルソーに対して、平気でフリードリヒ大王に仕えたりしている。ジャンセニズムとかカトリックの圧迫というのが日本人には分かりにくく、貴族や国王の圧政をはねかえそうとしたルソーのほうがよく分かるのである。