Amazonで、私の「もし『源氏物語』の時代に芥川賞・直木賞があったら」に、sasabonという人が2月26日づけでレビューを書いた。「目くじらを立てるほどではないですが、過去の名作を恣意的に「芥川賞・直木賞」に選定したというお遊び」というタイトルだ。以前はAmazonレビューにはコメント欄があったのだが、なくなってしまったし、私は昨年自分のAmazonレビューを削除されてから、レビューを書くことができなくなり、今Amazonを提訴する準備をしているところだが、なのでここで答える。
まず「恣意的」ということだが、文学であれ美術であれ音楽であれ、最終的には評価は個人の主観であって、いくら説明しても相手が納得しなければ「恣意的」ということになる。
それから、中西進が国文学界では異端と書いたことに不満のようだが、これは私の主観ではなく、客観的事実である。時おりこれを言うと、私が中西を攻撃しているように思って怒る人がいるのだが、どうも落ち着いてもらいたい。中西はかつて日本比較文学会の会長をしていたが、これも国文学界で異端だからで、私は筑波大学で中西に教わった加藤百合・現筑波大教授に、なぜ中西が異端なのか訊いたことがある。すると「比較文学なんかやるからですよ」ということだったが、私はあまり納得しなかった。次に、東大名誉教授で学士院会員の川本晧嗣(比較文学)が、なぜ中西が異端なのか、当時東大教授だった小森陽一、神野志隆光に聞いてみたら、二人ともせせら笑うばかりでまともに答えなかったというところから、小森や神野志は共産党系の左翼だから、保守派の中西を嫌っているだけ、つまりイデオロギー的なものではないか、と話していたのだが、私の先輩で古田島洋介・明星大学教授は、漢文学の人で、小堀桂一郎の弟子筋の右翼っぽい人だが、「どうせお前らの参照している『万葉集』は講談社文庫のだろう」と思う(この場合「お前」は私ではない)とせせら笑っていたことがあるので、イデオロギー的なものですらない。
あと中村光夫に対して私が批判的なのが気に入らないというが、中村は私小説批判派で私は擁護派だから、それは『リアリズムの擁護』(新曜社)や『私小説のすすめ』(平凡社新書)に書いてあるので、読んでもらいたい。
以上、sasabonさんへの回答であった。
(小谷野敦)