日本の人文系の博士号について、ちょっと説明しておく。夏目漱石の博士号辞退などを想起する人もいるようだが、あれは漱石が博士論文を書いたわけではなく、文部省が一方的に授与しようとした名誉称号だから、今言っている博士号とはまったく別のものである。
1990年ころまで、大学の人文系の学者には、博士号をとるという習慣がなく、学者は教えていればいいという風潮があった。しかも、国文学や国史学なら日本でとってもいいが、英米、フランスやドイツの文学を専攻するなら、現地でとらなければ本物ではないという意識があった。だがそれは当時は極めて困難なことで、東大で初めてフランスで博士号をとったのが福井芳男、二番目が蓮實重彦ではなかったか。平川祐弘などはヨーロッパに五年いたが、博士号はとれず、日本でとった。比較文学で平川、亀井、小堀が博士号を早くにとったのは、新しい学科だから業績を作って見せつけようという意図があった。平川や小堀は森鴎外だが、亀井俊介はホイットマンだから、それで日本で博士号をとるのは異例のことだった。
1990年ころから、やはり教授は博士号をとっておくべきだと文部省から圧力をかけられて、大学院生がぼちぼちとりはじめるのだが、英文学ではそのころ、アメリカや英国でとってくる人も多かったが、仏文学の月村辰雄のように、留学したことがなく、ために博士号なしで東大教授を務めあげる人もいた。東大独文科では、柴田翔、池内紀をはじめとして、博士号のない人ばかりいたし、菊池栄一は駒場の教員で博士号をとっているが本郷ではなかった。現在の准教授である山本潤(1976年生)にいたって初めて東大で博士号をとった人が東大独文の教員になっている。京大でも1976年生の川島隆がやはり京大でとっている。ドイツで博士号をとった文学研究者というのは石原あえかと1981年生の針貝真理子くらいか。
ロシヤ文学となると、本国ソ連・ロシヤで博士号を取ったという話は聞いたことがなく、とった人でも日本でとった人ばかりで、下手に日本でとると出世できないとぼやく人もいる。沼野充義も亀山郁夫もとっていない。とったのは小椋彩、秋草俊一郎など若い人が主である。まあブラックな話をすると、教授が博士号を持っていない場合、博士号をとった弟子は嫉妬されて出世できないということもなくはないので、わざととらない人もいるような気がする(個人の感想です)。