馬琴の黄表紙で、六代目市川團十郎が若死にしたのを追善した『東発名皐月落際』というのがあるのだが、これが寛政十一年刊行となっている。早大図書館でも、清田啓子の翻刻でもそうなっており、新しい『曲亭馬琴日記別巻』もそうなのだが、黄表紙が刊行されるのは正月で、六代目が死んだのは五月なので、どう考えてもおかしい。『日記別巻』巻末の年表では、正月に黄表紙が出て、五月に六代目が死ぬというおかしなことになっている。もし秋ごろに緊急出版したというなら、清田氏などはそれでいいとして、どうなのか。 
(付記:五月か六月に緊急出版したのだろう、ということで、戯作は正月刊行を建前とするらしいが、年表としてどうか、とは思う)