やむをえない自殺について

 6月に「読書人」でインベカヲリ★さんと公開対談をしたのだが、残念ながらその内容は活字としてまとめられていないので、少し書いておく。

 前にインベさんが「家族不適応殺」という、殺人犯(無期懲役)の男を描いたノンフィクションに続いて「死刑になりたくて他人を殺しました」という対談集を出したのだが、それを読むとインベさんが死刑制度反対論者とか、自殺は止めなきゃいけない論者に見えるのだが、確かそうではないはずなので、そのことを確認するための対談でもあり、その確認はできた。

 私は、自殺というのは死にたい人は仕方がないから死なせてやればいいという考えではあるが、そこに至る要因もあるから、「まあ、自殺者が多いのは経済の問題もありますよね」と言ったらインベさんが、「みんなで不幸になれば自殺しないですむのでは」と言ったから、ありゃりゃと思ったのだが、私は、富裕層と貧困層があれば「みんなで不幸」とはいえないと考えていたわけだが、インベさんの「みんな」というのは、自分の周囲の人々という意味らしかった。

 その時私は、やむをえない自殺、ああこれはもう死ぬしかないなあという自殺もあるという話をして、江藤淳宮崎勤の父の例をあげた。江藤は68歳で妻に先立たれて、子供もなく、自分も脳梗塞を二度やって、喫煙者であり、脳梗塞をやったら喫煙はやめなければならないがこの状況ではそれは無理であった。しかも平山周吉の伝記によって、妻の闘病中に江藤の以前の愛人(芸者)も病死していたことが分かり、もしこれが生きていたら、愛人と再婚ということもワンチャンあったかもしれないと思ったが、これはまあやむをえない自殺である。宮崎勤の父は、被害者遺族に対する補償をできる限りやって自殺したのだが、私はこれなどは立派な自殺だと考えている、といった話をしたが、あとで考えたらインベさんは宮崎勤はともかく、江藤淳など知らなかっただろう。

小谷野敦