呉智英の「美談」

呉智英のどれかの本、『賢者の誘惑』だったかに、三流大学で非常勤講師をした時のことが書いてある。ものすごく難しい話をするぞー、と言って話したが、最後にアンケートをとったら、こんな面白い話は聞いたことがない、というのが多かったという自慢話だが、呉は岡田斗司夫と同じで「口がうまい」つまり香具師的にしゃべるのが上手いから、難しくても面白いと思わせるのである。

 ところが呉はそこから、三流大学の学生はいつもつまらない授業を聞かされているのだと怒りを覚えた、と言う。はて? では一流大学の授業は面白いとでも? 私は東大の英文科へ行って、授業のあまりのつまらなさに厭世的な気分になってあまり大学へ行かなくなった。これは英文科の伝統らしく、里見トンも高山宏も英文科はつまらなかったらしい。

 呉智英といえば、しかし、「学歴差別」をする人として知られているが、もちろんこれは間違いだ。「学歴差別」というのがあるとしたら、能力が高いのに出た大学がバカだから採用しない、といった行為のことで、「日東駒専レベルの学力では心理士試験には受かりません」と言うのは別に差別ではない。生まれつき駒澤大学卒などという人間はいないのだから。

 だから、呉はここで、三流大学の学生への「差別」に怒る自分を描き出して、汚名を返上しようとしたのだろう。つまり、自分を「美談」の主人公に据えたといったところか。そういう「シラカバ派」なことをするあたりが、この人の限界だったなあ。

小谷野敦

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