音楽には物語がある(58)没になった音楽 「中央公論」10月号

 ピンクレディーの「サウスポー」には、録音するところまで行った没曲があるということは前に書いた(阿久悠『愛すべき名歌たち』)。ピンクレディーのプロデューサーが、録音が済んだあと、これでいいのかと不安になり、都倉俊一のところへ駆けつけて、もう一つ別の曲を作り直してくれと頼み、阿久悠ができた曲に歌詞をつけて、できたのが、我々の知っている「サウスポー」だというのだ。

 没になったほうは『続・人間万葉歌 阿久悠作詞集』というCDを入手して聞いたが、最後は「サウスポー 私は左きき」と繰り返されて、全体にパンチが利いておらず、これだったら実際に使われた曲ほどにはヒットせず、ピンクレディーもそのあとどうなったか分からないなという気がした。都倉も阿久もそれでいいと思っていたのだから、プロデューサーというのはさすがだ、と感心せざるを得なかった。

 映画を観るのに、プロデューサーで決めるという人がいるが、それはプロデューサーが、この人のように、一歩引いて、当たるか当たらないかを冷静に判断する目を持っていると思われているからだろう。

 NHK大河ドラマは60年の歴史を持つが、主役が病気のために交代したこと(「勝海舟」)はあっても、主題曲が途中で変わったことは一度もない。今年の「どうする家康」はシナリオがあまりにひどくて私はげんなりしているのだが、主題曲だけはいい。おそらく大河の主題曲は、いくつもの没曲を出して納得がいくまで作られているのだろう。おそらく中には、これ以上冒険をするより無難なこの曲で行こうという判断もあったと思われる。「徳川家康」(83年、冨田勲曲)や「武田信玄」(88年、山本直純曲)に、それを感じる。

 没になった主題歌で私が知っているのは、「ウルトラセブン」の没主題歌だが、これは名曲で、ただ採用された主題歌のほうが、当時の子供には歌いやすく、没主題歌は曲はすばらしいが歌詞がつくと子供には歌いづらいというので没になったのだろう。曲が惜しいというので、第四話「マックス号応答せよ」の、ゴドラ星人との戦いのクライマックスで、インストルメンタルとして流され、強い印象を与えた。のち「ウルトラマンA」の時には、このインストの間奏の部分が、ウルトラ兄弟の長兄ゾフィーのテーマとして使われることになり、私は「ああゾフィーのテーマになったのか」と思っていたが、これが没主題歌であることを知り、歌われているのを聴いたのは、大学生の時にLPを買ってきたのが最初だった。

 これなどは、斬新すぎて、当時の子供番組の主題歌としては、子供が歌えないだろうと判断されたのだろう。だが名曲だ。それに対して「帰ってきたウルトラマン」の没主題歌は、歌詞が二番からあとは使用された主題歌と同じで、使用主題歌の歌詞は日本語におかしなところがあり、それよりはいいが、音楽としては地味すぎて、没になったのもしょうがないと思う。これも団次郎(のち時朗)と子供たちの歌唱だが、これこそ放送しても子供には分かりにくく、使用主題歌のほうが明るくて子供番組らしかった。

 しかし「ウルトラマンティガ」(1996)からあとは、「ウルトラマン」の主題歌も、子供が歌えるかなどということはお構いなしになってきて、中にはいい曲もあり、子供にもかろうじて歌えるかというのもある。子供番組の主題歌は子供が歌えるように、という時代はもう終わったのだろうか。(以後付記)現在放送されている「ウルトラマンブレーザー」のエンディングの歌などは、下に字幕がついていないから私にも半分以上何を言っているのか分からない。