凍雲篩雪

 「禁煙ファシズム」は「思想」か?

一、千葉雅也が「ウェブヴォイス」に載せた「禁煙ファシズムから身体のコミュニズムへ」で、禁煙派と喫煙擁護派を、政治的左翼、右翼と重ねて四象限にして分析している。千葉はそこで、禁煙ファシズムを「自らの身体を外界から区切られた「領地―プロパティ(私有財産)―不動産」として考え、境界を侵犯するものを拒絶する」思想だとしている。だが、私が当初から言っている通り、禁煙ファシストは、自動車の害については何も言わない、自動車事故は減っているとはいえ年間四千人が死に、さらに傷つけ、大気は汚染されているのだ。千葉は、近年そのような思想が強まっているというが、これはおかしいのではないか。それは反原発の者たちも同じであって、人が「自動車の害はどうなるのか」と言うとヒステリックに反応するだけなのである。これを要するに、自動車は自分らに便利だから手放したくないというだけのエゴイズムに過ぎず、「思想」などとして分析するには値しないのである。
二、米国のテレビドラマ「大草原の小さな家」は、私の小学校高学年から大学生の頃にNHKで放送され、私も楽しく観ていた。原作のほうは姉メアリーの失明のような事件をのぞけば淡々たるものだったが、マイケル・ランドンが演じる父親チャールズを理想的な人物として脚色してあった。実際の父親はその放浪癖のために家族を連れてあちこちに移動する困った人物だった。
 初期の「ローラの祈り」などは、これだけ映画として取り上げてもいいくらいの名作なのだが、シーズンを重ねるにつれて次第に質は劣化していき、いつしか観なくなった。先ごろちょっとした機縁で、「新・大草原の小さな家」と題された最終シーズンをDVDで観たら、これはチャールズ夫妻が登場しない、ローラ夫妻を中心としたシーズンなのだが、人気者のマイケル・ランドンがいないからか、視聴率は悪かったらしいが、結構面白かった。
 引き続いてその二つ前の第七シーズンも観たのだが、ふと気になったのは、チャールズの妻のキャロラインは、カレン・グラッスルが演じているのだが、中学生の頃から、日色ともゑの吹き替えが下手だなあと思っていた。だが今回観ていて、どうもこの「母さん」は魅力が乏しいということに気づいた。もちろん「優しい母さん」ではあるのだが、特に母さんが劇的な活躍をする回というのがないのだ。
 アメリカのことだから、政治的配慮はもちろんあり、チャールズは黒人、インディアン、ユダヤ人を差別しないし、北部ミネソタにほとんどいなかったであろう黒人のレギュラーもいた。だから「母さん」もフェミニズムに配慮して描けばよかったのに、「料理のうまい優しい母さん」の範疇を出なかった。そのへんが私には不満だったのだが、なぜそうなったかというと、これが「ローラと父さん」の物語として構成されていたからだろう、と言うほかない。
三、西部邁が自殺した。三十年前に、ドストエフスキーの『悪霊』のキリ―ロフの自殺哲学に共感していたし、学生運動を裏切った念もあり、夫人を失って、自殺は時間の問題だったろう。
 西部のおかげで「保守」という語が独り歩きして、「真正保守」とか「リベラル保守」とか珍奇な保守を名のる人が増えたのは罪なことであった。中には、俺は「保守」であるぞ、と錦の御旗のように言う人もいるからおかしい。西部は福田恆存の後継者のつもりだったらしいが、最後には福田から事実上絶縁されていた。
 西部のことは私はたびたび批判したが、一度も答えてはもらえなかった。そういう意味で誠実な人間だとは思っていない。ところがこの人は「人たらし」で、実際に会うと、いかにもさばけた賢者風の語り口で人を魅了してしまうから困ったもので、明らかに対立している人は別として、中間的な文化人など、たちまちころりと、面白くて素敵な人だと言いだすので、今回もそんな意見が目立った。
 学者の世界でも、いや政治でも藝術でもそうだが、会うとその人柄に魅せられてしまう、というような人がいて、私は死んだ十二代目市川團十郎なども、いかにも偉ぶらないで、いい人扱いされていたが、それが、技藝がひどいものでありながら劇界に地位を得て十二代目を継いだ理由であろう。もっとも渡辺保が『戦後歌舞伎の精神史』で團十郎を「美貌」と書いているのには、私は疑問である。
 世間には、意見が対立すると、会って話そうとか、対談をしようとか言いだす者がある。だが人間というのは、実際に会うとどうしても舌鋒が鈍ったりするもので、もちろん中には実際に会っても鋭鋒をゆるめない猛者もいるが、たいていはそうではない。結局この「実際に会う」は曲者で、たいていは泣き落とし、恫喝、丸め込みなどの手段が待っている。小林よしのり中島岳志が対立した際も、中島は対談を呼びかけたが、小林は峻拒した。これは正しかった。私もさる社会学者と対立した際、某書評紙から対談の話が来たが、すでに相手はネット上で私の問いへの答えを拒否しているので、それなら往復書簡形式にしてくれと言ったが、それは受け入れられなかった。もしまじめに議論がしたいのであれば、落ち着いて反駁などできる往復書簡形式のほうがいいはずなのだから、これはまあ、丸め込みを狙ったのだろう。
 「あの人は小説は下手だが人柄がいい」というのはいいが、だからといって小説まで上乗せして評価することもないだろうが、その小説家とつきあうとそういうことが起こる。学者でも、海外へ行ってあれこれ有名な学者に会って、その会ったということで実際以上に偉いとされている人がいる。学問の世界には「招待講演」というのがあり、偉い学会や大学から招待されて講演をすると、それだけで講演の価値が上がり、業績としての点が高くなる。講演の内容は問題ではないのだ。
 私は大学院へ入った最初の一年、西部の謦咳に接して、それこそたらされてしまい、ずいぶん敬愛していたことがある。ほかにもそういう人はいるだろうし、敬愛したままで西部の死に遭った人もいるだろう。私の場合、一年で東大駒場事件が起き、西部との縁はまったく切れた。いわばあちらが切ったのであって私が切ったのではない。おかげで私は、人に心酔することは以後やめたのである。
四、『新潮45』で、平山周吉が延々と連載していた『江藤淳は甦る』が完結した。全体として、江藤の変人ぶりが明らかにされた、いくらか不気味な前半生伝記だった。最後の回では、江藤が米国から一時帰国した際に、夫人にあてた手紙が明らかにされ、自身を「パウ」、妻を「トン」と呼んで、「それからベッドにはいり、トンのことを思い、トンのオッパイや あそこを思い出しながら、自分でする。トンしかパウには愛している女はいないよ。トンの いない東京なんか(以下略)」などとすごい手紙が公開されていて、文学者の手紙でもこういうのは見たことがない。
 だがその結語で平山は、この相思相愛のはずの妻が「他者」になっていた、と残酷な言葉で結んでいるのだが、おそらく多くのことを書かずにすませたのであろう。江藤はこのあと、藝者の愛人を持っていた時期もあったという。