音楽には物語がある(50)石川ひとみと山口百恵 「中央公論」2月号

 横綱北の湖と千代の冨士は相次いで世を去ったが、年齢差は北の湖が2つ上なだけである。活躍次期がずれているのは、北の湖が21歳で横綱になり、31歳で引退したのに対し、千代の冨士は26歳で横綱になり、35歳までとったからである。豊臣秀吉徳川家康は5歳差だから、家康が秀吉と同じ歳で死んでいたら、徳川幕府が260年も続いたかどうか分からない。

 山口百恵石川ひとみは、ともに1959年生まれである。山口は1月生まれなので学年は一つ上だが、あの時代を知っている人からすると意外なことだろう。

 山口は14歳でデビューし「花の中3トリオ」などと呼ばれ、10代のうちに多くのヒット曲を出し、21歳で引退という若さだったのに対し、石川ひとみは高校卒業後、18歳でのデビューだったから活動時期がずれているのはやむをえない。

 デビューから一年ほどで、石川はNHKの人形劇「プリンプリン物語」(1979-82)の主役声優に抜擢され、これが転機となった。私自身この人形劇が大好きで、脚本の石山透はかねて「タイムトラベラー」「新八犬伝」「鳴門秘帖」(77-78年)で好きだった脚本家でもあった。それで石川ひとみも好きになり、当時出ていたアルバムのカセットテープ版を3本買ってきて繰り返し聴いていた。当時私は高校2年生だったが、童顔だったし、石川ひとみを同年配だと思い込んでいたようなところがあるし、通っていた私立の男子校でも「かわいい」というので人気はあったが、どうもまだ「ヒット曲」には恵まれていないようで、結局「プリンプリン」3年目になる81年に、三木聖子の曲をカバーした「まちぶせ」がヒットし、紅白歌合戦にも出場するのだが、結局これが石川ひとみの唯一のヒット曲ということになっている。それが、山口百恵引退の翌年のことだ。

 だから79年までの石川ひとみの歌は全部覚えているのだが、確かに、これはヒットしそうだという歌がない。代表曲扱いされていたのはアルバムの題名にもなっている「右向け右」や「くるみ割り人形」だが、後者などは、題名を先に考えて作ったのだろう、女が恋人である男にあやつられる人形だという結構変な歌になってしまっている。中には小室とまと名義で小室みつ子が作った「サムシング・フォーリン・ダウン」のような佳作もあり、私はツイッターを始めてからこの小室さんと時どき話をするようになれた。いい曲はあるが、それはA面の勝負曲ではない、というところがあった。

 あと、童顔であるせいか、十六歳くらいの少女が年上の男とつきあっていて、年齢差を彼が物足りなく思っているのではないかとか、背伸びしなければならないとかいう歌が多く、「プレイバック part2」のような「大人の女」を歌っていた山口百恵とみごとな対照をなしている。実際、ヒットした「まちぶせ」にしてからが、高校生を描いた歌のように見える。

 ピンクレディーの「サウスポー」は大ヒット曲だが、実は一度別の曲を作って録音も済んだあとで、プロデューサーが、都倉俊一を訪ねて、別の曲を作ってくれと頼んだという話がある。つまり前の曲では不十分だと思ったということだ。

 映画でよくあることだが、明らかに失敗作で、どうしてこのシナリオで撮ろうと思ったのかと首をかしげることがあるが、歌謡曲でも、聴けばああこれはヒットしないだろうと分かることがある(稀にそんな曲がヒットすることもある)。しかし、この歌手はどういう曲ならヒットするのか、分からないということはあるもので、私にしてからが、自分が書く気になる本で、どういう本を書けばベストセラーになるのか、これは分からないものである。

            (小谷野敦