音楽には物語がある(29)歌謡映画(2)中央公論5月号

 一九七〇年代になると、映画の斜陽産業化が決定的になり、日活がロマンポルノ専門の映画会社になるが、その一方「日本沈没」とか「エクソシスト」「ジョーズ」などの話題映画が結構観客を集めるという現象も起きる。だが歌謡映画はおかしくなる一方だった。

 一九七三年の「としごろ」は、山口百恵の曲を題名にした歌謡映画で、作中に山口百恵は脇役で登場するが「としごろ」は歌われず、主役は和田アキ子森昌子で、中学から高校のバレー部を舞台とした物語という変則ぶりである。さらにこの年ビューしたばかりで十五歳の石川さゆりも出ているのだが、石川はヒット曲を出したわけでもなく、よほど軽く見られたらしく、チンピラに輪姦されてしまう役で、吹き替えだが全裸にされており、さらに妊娠してしまって、たまたま海岸で出会った人生に苦悩する秀才とともに心中してしまうというひどい役をやらされている。「津軽海峡冬景色」がヒットするのは三年先で、当時は海のものとも山のものとも分からない新人歌手だったのである。

 「襟裳岬」(七五)は、森進一のヒット曲をもとにした歌謡映画のはずだが、森進一は途中で芝居とは関係なく歌う場面があるだけで、都会の片隅で山口いずみが恋人を作って初のヌードシーンを披露するが恋人は急病で死んでしまい、その友人(夏夕介)に付き添われてフェリーで男の郷里の襟裳岬あたりへ遺骨を返しに行くという暗い話で、かなり歌謡映画の本来からは遠ざかっているのだが、山口いづみというのは何だかさほど美人でもないし何なんだろうと思っていたが、元は歌手だったらしい。だがこの映画の暗い役柄でちょっと見直した。

 歌謡映画はかくしてだんだん変なものになっていき、終焉を迎えるのだが、七六年の「北の宿から」も、珍妙ではありながら変に面白い映画になっている。都はるみのヒット曲をもとにしているが、都自身はわき役として、田沢湖近くの旅館のおかみとして出てくる。主役は田村正和中野良子で、中野は医者のお嬢さんで、ちょっとしたことでこの宿で田村と知り合い、そのゆくえを訪ねるところから二人が恋仲になるが、田村は天文学者の卵であり、中野の父(岡田英次)は医者との結婚しか許さないと言う。中野は家出して都はるみの宿に滞在しているが、その間に田村がしげしげと中野の父を訪ねて説得するという変な展開になる。

 宿にいる中野は、原田美枝子下條アトムのおかしなカップルと知り合いになる。二人は家出してきた不良で、人のものを盗んだり、原田が客に体を売ったりしてだらしない生活をしているが、中野が懇々と諭して改心させ、二人は中野の前で人前結婚式を挙げるのだが、実は二人は郷里で強盗事件を起こして逃亡中の身で、車の中でガス心中をとげてしまう。田村は中野のところへ来て、「ぼくらの戦いは終わりを告げた」と言うのだが、というのは、中野の父から、医者になれば結婚を許すと言われた田村は、天文学者を諦めて医学部へ入り直すことにしたというのだ。東大(?)の大学院へ行っている理系の秀才だからできることらしいが、それを聞いた中野は、田村が志を捨てたというので怒り、二人の関係は決裂して終わる。都はるみにも、語られない恋があるようだが、何とも妙な映画である。

 「最後の歌謡映画」ではないかと私が考えているのは「ピンクレディーの活動大写真」(七八)で、人気歌手ピンクレディーを主役に映画を撮ろうという企画で、下町もの、SF,西部劇の三つの趣向でオムニバス形式にするというメタ歌謡映画だが、これが意外といい出来で、「キネマ旬報』で山田宏一が二点をつけていた。