音楽には物語がある(24)ピンク・レディー(1)中央公論2020年11月 

 ピンク・レディーがデビューしたのは一九七六年八月だというから、ちょうど中学二年の私がアメリカでホームステイしていたころだ。八月末には帰国したが、うちではあまり民放の歌謡番組などを観る習慣がなかったため、「ピンク・レディー」の実物を見る機会はなく、私はぼんやりと、女の五人組くらいの編成かと思っていた。

 七七年の正月に、母の実家、つまり田舎である茨城県の石下村六軒という集落の家へ行っていた時に、初めてピンク・レディーを観た。二人組だというのはその時知った。その時歌ったのは二曲目の「SOS」で、ああこういう適度に性的な歌を半裸ふうの衣裳で歌う、それほど美人ではない二人組なのか、と思った。

 その三月には「カルメン‘77」が出て大ヒットしたから、ピンク・レディーを観たことがない、などということはまずない状況になった。作詞の阿久悠は、「どうにもとまらない」以後の山本リンダフィンガー5に続く、子供も歌う流行歌路線を目ざしていたというが、最初の「ペッパー警部」などは妙に中途半端で、何を狙っているのか分からなかった。

 「カルメン’77」の「カルメン、でっす」という敬体は妙に画期的に見えたが、ですます体の歌謡曲といえば、「てんとう虫のサンバ」「喝采」の冒頭、「北の宿から」、キャンディーズの「春一番」などがあるが、「北の宿から」は男への語り掛け形式なので、歌詞外の存在に対しての「です」は「春一番」からの影響だろう。

 次の「渚のシンドバッド」もヒットしたはずだが、私はあまり耳にした記憶がない。むしろその次の「UFO」が、空前絶後のヒットとなり、全国で大人から子供まで歌っているという状況になった。なおこれは異星人との遭遇を恋愛歌風にしたもので、「手を合わせて見つめるだけで」という歌詞は、スピルバーグの映画「E.T.」を想起させるが、「E.T.」は八二年だからあとのことだ。「日清ソース焼きそばUFO」はこの歌より前に出ていたが、さっそくCMにピンク・レディーを起用し、遺跡のように今でも焼きそばUFOは売られている。「謎の円盤UFO」という米国ドラマが七〇年に放送されており、その時は発音が「ユーエフオー」だったが、その後「ユーフォー」という言い方が広まり、この歌で決定づけられた観がある。

 当時は「エクソシスト」「キャリー」などのオカルト映画がはやっていて、超能力やUFOがブームだった。五島勉の『ノストラダムスの大予言』が売れたといい、私と同年の宮崎哲弥は、少年時代この本に大きな影響を受けたと言い、のちにオウム真理教事件が起きた時、ノストラダムスの影響を感じて、自分もオウムのようになっていたかもしれないと言う。宮崎が仏教に傾倒していったのもそのためであろう。ところが私は五島勉の本は読んだこともないし、当時周囲でそれを本気にして騒いでいた者など一人もいなかったので、ちょっと狐につままれたようであった。ともあれ、そういう時代にピンク・レディーは、大人から子供までが口にする歌を歌っていたのである。

 戦後しばらく、『少年』『女学生の友』から、小学館の学年別学習雑誌などで、歌手を中心とした芸能人がフィーチャーされることが多く、流行歌は子供文化に食い込んでいたわけである。それでも流行歌は恋愛歌が多いことから、なかなか微妙な位置を占めており、山口百恵桜田淳子森昌子などは当初花の中三トリオと呼ばれる年齢で恋愛歌を歌っていたわけで、ピンク・レディーはそれとは別系統だったろう。