社会学者

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上野千鶴子宮台真司を槍玉にあげて、社会学を撲滅せよと書いたら、小谷野敦氏からあんなのは社会学者じゃないのだとご批判を受けたけど、いや、この内田隆三をふくめ、ああいうのが社会学者なんだと思う。だいたい、東大や首都大の教授をやってる社会学者なら、そりゃ日本の社会学を代表しているわけで、少なくとも世間ではああいうのが社会学だと思っているし、もちろん当人もそう思っているのであって、そうじゃない小谷野氏の意見はあくまで少数意見に過ぎない。そもそも、上野千鶴子は外部からわざわざ東大に呼ばれたわけでしょ? つまり、社会学者としてきわめてまともだと思われているから招聘されたんですよ。それとも東大の社会学科所属および出身の社会学者は全部ニセモノなのだろうか??

 えーと事実誤認ですが、三浦先生は『父親であること』(?)を評して、東浩紀と宮台をあげ、社会学を撲滅せよ、と書いたので、私は、東は社会学者ではなく、宮台は特異な社会学者だと書いたのだ。もっとも上野千鶴子についても言っていることは言っているので言うが、上野の社会学者としての業績は『主婦論争を読む』の編纂くらいしかない。内田隆三も、まともな社会学者とは言い難い。
 当人は、決して自分がまともな社会学者だとは思っていないことは、言葉のはしばしから窺える。この場合、多数意見かどうかは関係なくて、事実かどうかが問題なのである。上野を、わざわざ外部から、と言うが、東大だから東大出身者しかとらない、という前提はおかしい。あれはまあ、中沢事件があった後で、東大も寛容である、ということを示すために、本郷で上野を、駒場小森陽一を呼んだのである。なおこの場合、二人とも旧帝大出身である。
 さらに、上野を呼んだ際のポイントは、上野が、本当の権力には逆らわない人だということで、公金費消で問題になった先任教授についてもな〜んにも言わないし、東大内部で誰かを槍玉にあげたりしたことはない。梅棹忠夫みたいな人にはヨイショを怠らないし、世渡り上手な人なのである。だいたい、三浦先生のような業界人が、大学の人事が業績で決まると考えているとしたら驚きである。最後の一文は、論理的に飛躍している。
 あと上のほうで四方田犬彦をちょっと褒めているが、四方田は芳賀先生系なので、天皇制は批判しないのと、そもそもポスコロに転向したのは、西洋帝国主義を批判するのは駒場学派的には都合がいいからで、日本も悪いが西洋も悪い、というあたりが、東大比較にゆるくつながりつつ岩波でも仕事をするには、ちょうどいいスタンスなのである。だから『先生とわたし』『歳月の鉛』と続けて書いて、英文科を批判しても、東大比較の批判はほとんど出てこないし、扱いもしないのである。四方田の狡猾さを見落としてはいけない。