まとめ
1993年 吉澤夏子が『フェミニズムの困難』を刊行。当時38歳。ラディカル・フェミニズムには未来がない、というような批判で、フェミニストの間で評判が悪かったが、男たちには受けた。
1997年3月、同『女であることの希望』を刊行。アンドレア・ドウォーキンが『インターコース』で、テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の市電』を論じて、あらゆるセックスは強姦である、と主張した、と言われていたのに対して反論し、ブランチはひどい目に遭わされて狂気に陥るが、愛のあるセックスはあると信じていたことが尊いと主張し、ラディカル・フェミニズムを批判。これも、男たちに受けた。
同年10月、私が、二つの本の題名を併せて『男であることの困難』を刊行。中でフェミニズムを批判し「一夫一婦制は最高の家族制度である」として、結婚否定のフェミニストを批判。
1998年5月、『ちくま』で上野千鶴子が「宮台真司氏の「偏向」」を書き、吉澤を評価する宮台を批判し、吉澤を「反動」と呼ぶ。
6月、「京都新聞」で私が、上野千鶴子がいう「男」は「もてる男」のことでしかない、と書いたら、翌日上野が反論して、ご自身のコミュニケーション・スキルを検討なさったらどうでしょうか、と個人攻撃をする。
同月、大澤真幸が『恋愛の不可能性について』を刊行。属性だけでは恋愛は起こらない、何らかのプラスアルファが必要だと論じる。
7月、大澤「自由の牢獄」(『アステイオン』)で、もし条件だけで異性を選ぶなら、本当に愛しているとは言えないと書く(多分単行本未収録)
同月、『論座』8月号で宮台真司と上野千鶴子が対談、上野が「もてない男はマスターベーションしながら死んでいただければ」と発言。
1999年1月、『もてない男』で私が大澤を批判し、実際には条件がすべて揃った異性に出会うことなどまずない、プラスアルファはむしろ妥協するために使われるのである、また「本当の愛」などというのは疑わしい、と述べる。
4月、私が『論座』5月号に「恋愛不要論」(『恋愛の超克』)を載せ、吉澤(潜在的に大澤)を批判して、恋愛結婚至上主義に陥っており、実際には恋愛などできない男女が、生きていくために結婚することもあると述べる。
7月、吉澤が『論座』8月号誌上で反論するが、自分は誤解されている、として従前の論を繰り返しただけ(多分単行本未収録)
9月、『論座』10月号に私が「<本当の愛>をめぐる言説について」で吉澤に再反論、あわせて森岡正博が『仏教』に連載していた「無痛文明論」の「条件抜きの愛」論を批判(潜在的には山下悦子も批判)
10月、『論座』11月号で森田成也(トロツキー研究者)が、ドウォーキンは、すべての性交は強姦だなどと言っておらず、悪質なデマだと主張していると述べる。
2000年11月、『恋愛の超克』刊行。恋愛の可能性を説く妻と、不可能性を説く夫って…と書く。なおこの本では、速水由紀子は宮台真司の「同居人」と書いたが、よく事情を知らない張競さんが新聞で書評して「同居人のことまで書くのはいかがなものか」と書き、数年後、それを検索した2ちゃんねらーが、現物を読みもせずに、私が個人の私生活を暴いていると騒いだ。
2002年、『大航海』の「フェミニズムは終わったか?」特集で吉澤が浅野智彦との対談で「恋愛の可能性と不可能性って同じことなんですよ」と苦しい言い訳をする。
2003年、森岡が『無痛文明論』を刊行、男女の愛は、始めは条件つきでも、次第に条件抜きのものに変わる、と苦しい書き換えをする。
2004年、翻訳『ポリアモリー』に宮台真司が絶賛の推薦文を寄せる。
2005年2月、宮台、東大名誉教授の娘と結婚。
4月、アンドレア・ドウォーキン死去。
5月、「朝日新聞」で吉澤がドウォーキンの追悼文を書くが、「言ってない」の件には触れず、むしろ「愛の可能性」を開く、と書いた(ただしドウォーキンに対しては「そう言っているとしか見えない」との批判あり)
2008年7月、森岡が『草食系男子の恋愛学』を上梓し、「もてない」問題を隠蔽。隠蔽したいマスコミが飛びつき、「もてない」を無視して「積極的に行動できない」にすり替える。
2009年、上野千鶴子が『Scripta』で「コミュニケーション・スキルを磨け」と言っただけで批判された、と、個人攻撃をしたことを忘れて被害者面をする。
そして、今ここ。
(小谷野敦)