1975年から80年までの、つげの37歳から42歳までの時期の日記で、83年に『小説現代』に連載され、その後刊行された。長男正助の出生、妻マキの子宮がんをへて、つげが不安神経症に襲われて苦しむまでを描いていて、読んでいて大変きついものだった。特に私のようにガン恐怖症で不安神経症の人間には。しかし妻で唐十郎の劇団にいたマキというのは結構悪妻だと感じ、そのためこれが発表された時に夫婦関係が険悪になり、文庫化もマキが死んでから20年もたってからのことであった。文庫の解説は元筑摩書房の松田哲夫が書いているが、松田自身が引用しているように、日記では78年に松田と会って割と景気のいい話を聞かされ、翌日筑摩の倒産を聞かされたとある。だがその点について松田が何も説明していないのがおかしい。せっかく解説者になったのだから説明すべきだろうと思った。
その松田解説では、不安神経症が薬をやめたら治ったというようなことが書いてあるが、これは何だか薬を敵視するどこかの医者のようで、今の精神薬は急にやめるとひどい禁断症状が起こることもあるので、軽々にこういうことは書くべきではないんではないかとすら思った。
(小谷野敦)