私は若いころ、山崎正和とか江藤淳みたいな有名文化人になりたかったが、結局それは半分くらいしかかなわなかったと言うべきだろう。
30代半ばで「もてない男」が売れた時は、もっと売れていくつもりでいたが、まあそうもならなかった。まあ当ての外れたのは、大学へ再就職できると思っていたことで、これが一番でかいが、あとはもっとあれこれ「対談」の仕事があって、対談集なんかもできるだろうと思っていたのも、当てが外れた。
あの当時、西部邁の『論士歴問』(1984)とか上野千鶴子の『接近遭遇』(1988)とかの対談集も出ていて、どちらも面白かった。この二人の著述よりこっちのほうが面白かったし、西部も上野も、その後は派閥を形成したりして狡猾で陰険な人になっていったが、当時はまだ若くて誠実だった。
まあ私も対談とか鼎談をかき集めれば一冊になるくらいはあるんだろうが、中にはあまり成功しなかったのとか、決裂寸前なのとか、相手が刑事罰を受ける人になったのとかあって、まず無理だろう。しかし有名文化人が対談集を出すというのが、まだ本が売れて、今みたいにネットであくたもくたがものを言わない時代の産物だったのだね。
(小谷野敦)