幕見席(最終回)

 ところが、年が明けた二月ごろから「新型コロナ」というものが上陸したらしく、マスクを着けて外出から、二年生になるころには学校も休みになり、学校が再開しても、隣の級友や先生との間をプラスチックの板で隔離された生活になって、それが三年生になるまで続いた。歌舞伎も一時は全部停止になって、再開はしたが歌舞伎役者で感染する人も出たりして、真佐子はとても歌舞伎を観に行ける状態ではないまま、高校を卒業して、東京都立大学へ進学することになった。

 都立大にしたのは、実家から通えて私立でない大学から選んだからで、はじめは英文科に行こうかと思ったが、素直に国文科に進んで、高校教員か出版社の仕事を目ざすことにした。都立大には歌舞伎が専門の人はいなかったが、近世文学の女の先生の水城先生という人がいた。この先生に、江戸時代にはたくさんの本があって、とても一人では読み切れないということを教わった。

 前の年、まだコロナがひどかった時に、虎之助が「鏡山再岩藤」という歌舞伎をやることになっていたが、虎之助がコロナ陽性になってしまい、代役の人が勤めた。歌舞伎では、役を演じることを「勤める」という。「務める」ではない。

 真佐子は、歌舞伎に関する本を買ってきたり、図書館で借りたりしてノートを作って一所懸命に勉強した。内心では、もしか将来、歌舞伎役者の奥さんになってもいいように、などと考えたりはしたが、見ていると歌舞伎役者の奥さんは、たいてい芸能人か、それくらいの美人が多く、こりゃダメだな、と自分で苦笑してしまうのだった。

 時どき、水城先生のところへ行って、いろいろ話した。歌舞伎が専門ではないにしても、もちろん水城先生はいろいろ知っていて、真佐子は、自分も将来こういう先生になろうかなあ、などと思うほどに憧れを抱くこともあった。でも、うちには大学院へ進学するほどの経済的余裕はないから、いったん就職して、どうしても研究が続けたいなら大学院へ入り直せばいい、と水城先生にも言われた。

 コロナも済んだかという五月の一日、真佐子は歌舞伎に行くことになっていたが、朝からどうも腹具合が悪かった。その日は円子が出る演目ではなかったのだが、芝居の最中に座席を抜け出すのは控えたい。幸いと、通路から二つ目の席だったので、ころあいを見計らって抜けだしてトイレへ行った。

 その日は「鎌倉三代記」を中心にした見取りの演目だったが、先代の虎之助が面白くないと言ったとおり「鎌倉三代記」は面白くなく、いらいらしてまた腹具合がおかしくなった。もうすぐ幕が閉まりそうになると、真佐子は駆け出してまたトイレへ行った。劇場では女性トイレは休憩時間になると長蛇の列ができてしまうのは、女のトイレは数が少なく、時間もかかるからだ。

 (どうもお腹をこわしたらしい)

 額の汗をぬぐいながら廊下を歩いていると、水城先生がソファに掛けているのに出くわした。

 水城先生は「アラ」とびっくりしたせいか、席を譲ろうとしたが、相手が学生だから不要だと気づいて、座り直した。

 真佐子は、まだお腹がちくちく痛く、挨拶はしたが今観た芝居が面白くなかったことを正直に言った。

 「そうね・・・。あれは、面白くないかもね・・・」

 歌舞伎の演目では、面白くないけれど習慣でいつの間にか定期的に上演される演目があるのだという。

 「先生、わたし…」

 「ん?」

 「市川海老蔵って、いるでしょ。今度、團十郎になるっていう」

 「ええ」

 「息子さんがいるじゃないですか」

 「ええ」

 「その息子さんは、新之助になるんでしょ」

 「……ええ」

 「それで将来は海老蔵になって、團十郎になるわけですよね」

 「……まだ、それは分からないんじゃないの?」

 「……ホントですか」

 「……どうかねえ…」

 「なんか私、そういうことが子供の時から決まってるのって、やだなって」

 「ああ、ええ」

 周囲の人の耳を気にして、水城先生はちょっと肩をかがめた。

 「そういうのって、いいんでしょうか……あたしみたいな、親の代からの歌舞伎観る人じゃないのが、観てもいいんでしょうか」

 水城先生は、眉をひそめて、考え込んだ。

 その時、先生の隣にいた中年女性が立ったから、真佐子はそこへザザっと座った。

 「どうなんですか、先生」

 「ええ…と。そう、そのうち、歌舞伎もそんなんじゃなくなるわよ、きっと」

 「そうなんですか。海老蔵の子供だから海老蔵になるとかそういう歌舞伎じゃなくなりますか」

 「なるっ、なるわよ、なるように、あなたたちがしないといけないのよ」

 その時、また激しい便意が襲ってきて、「すみませんっ」と叫んで真佐子はトイレへ再び駆け込んだ。

(おわり)