財津一郎が死去した。私にとっては財津というと、和製ミュージカル「洪水の前」(1981)が思い出される。クリストファー・イシャウッドの『さらばベルリン』(1939)という半自伝的小説(翻訳は中野好夫訳『ベルリンよ、さらば』角川文庫)の中の、魅力的なフラッパー女に焦点を当てた「サリー・ボウルズ」の章をジョン・ヴァン=ドルーテンが戯曲にした「私はカメラ」をもとに、ミュージカル「キャバレー」が作られ、それをもとにライザ・ミネリがサリーを演じて同題の映画になった。一方同じ「私はカメラ」を原作に、藤田敏雄と矢代静一が脚本を書き、いずみたくが作曲し、日中戦争直前の大連を舞台に翻案したもので、私が観たのは1982の、大学1年の秋に、NHKで放送された、財津、秋川リサ、松浦豊和、笹野高史らが出演しているもので、すっかり好きになった。すぐあとでNHK―FMでカット部分も含めた音声だけのものを放送してくれ、これは録音したし、さらに十数年あとでNHK―BSが扇田昭彦の番組で再放送してくれたのをビデオに録画できたので何度も観ている。
『ミュージカル作品ガイド100選』(成美堂出版)にも載っているのだが、専門家の間での評価はそれほど高くないようだが、「キャバレー」とはだいぶ雰囲気が違っており、「サリー・ボウルズ」は、秋川リサが演じる不思議な女・徳大寺茉莉になっている。松浦豊和は前進座の若手からの抜擢で、新進作家・日暮隆夫の役。彼が大連へやってきて、ダンスホール「ペロケ」(オウム)に出入りして茉莉や謎の男(財津)と出会い、話が展開していく。笹野高史は老け役で知られるがここでは大連で知り合った日暮の軽薄そうな友人・安東として達者な演技を見せる。
財津は、満鉄の大物のほかに、司会進行と、ロシヤ軍人、茉莉の父の弁護士、満洲浪人、憲兵将校と、違った役柄を巧みに演じ分け、歌やダンスも達者に演じており、秋川とともにこの舞台を支えているのだが、実はそこが問題で、この舞台は、再演も二度くらいはされたらしいのだが、その後は再演されていない。あまりにも財津と秋川がはまり役なので、替えが利かないのだ。財津の役は、宝田明と坂上二郎も演じたというが、これは観ていない。(2022年にラサール石井で再演されたというがこれも観ていない) これも専門家はあまり評価しないのだろうが、いくつかのナンバーは優れた歌で、秋川登場の際の「顔を見ないで」とか、秋川と松浦のデュエット「朋友(ポンユー)」とかもいい。笹野が演じる安東は、日本人を装った満洲人で、満洲人女性の張芳蘭に恋してしまい、ついに自分は満洲人だと打ち明けて、日本人と満洲系財閥の争乱から遠くへ逃げようと言い合い、二人で「山は高く谷は深い」をデュエットするのだが、これもいい。あと、テレビ放送ではカットされた、ロシヤ革命に参加する軍人を偲んで女が歌う「私の大尉さん」も良かったが、この上演を今再放送できるかというと、笹野が、女なんてのは押し倒してやっちゃえばいいみたいなことを言っているから、それも難しいだろう。
財津の歌の女声バックコーラスで、当初何と言っているのか分からなかったのが、「没法子(メイファーズ)」という、中国語の「仕方がない」であることも分かったし、多分私はいずみたくの曲も好きで、しかし世間的には七〇年代の人として評価されてはいないのだろう。だから幻のミュージカルにならざるを得ないのだが、財津といえば「てなもんや三度笠」や「ピュンピュン丸」の主題歌もいいが、「洪水の前」に私は一票をあえて投じたい気分で今いる。
(小谷野敦)