七田谷まりうす(1940ー2021)という珍奇な名前の俳人のことは、あなたも「文藝年鑑」で見たことがあるでしょう。なだや・まりうすと読み、本名を灘山龍輔という、東大経済学部卒の財界人が、俳句を作る時に使っていた名前です。
私の大学院での同期だった筑波大学教授・加藤百合さんの父上の加藤栄一(1933-)さんは、筑波大学名誉教授で、東大卒ですが官僚出身で、バリバリの右翼反共主義者で、統一教会員で、中川八洋らとともに、日本が共産主義に侵食されないよう、筑波大をその防衛線とした人物ですが、こないだまで「ニコニコ如来」の名でブログをやっていました。私は昔、この方が主催する『樹』という俳句雑誌に、娘さんの縁でいくつか随筆を書いたことがありました。
さてこの加藤氏が、さる俳句の会で七田谷まりうす氏に会い、その珍妙な名前に感心していたころ、加藤氏は筑波大を定年になって常盤大学の教授をしていました。すると灘山氏こと七田谷さんが、自分も教授になりたいなあ、とおっしゃいました。加藤さんは、キミねえ、業績もないのに大学教授になろうなんてそれは無理な話だよ、と言いました。すると、加藤氏によると、灘山氏はたちまち、政治と経済について二冊の著書を上梓し、それによって常磐大学教授になったと、加藤氏は主張します。しかし、いくら私が調べてもその二冊の著書は見つからない、灘山氏の著書は七田谷まりうす名義の句集しかありません。
そのことを加藤氏に伝えると「灘山さんはずぼらな性格だったから国会図書館に納品するのを怠ったのでしょう。常磐大学の図書館にはあるはずです」とのことだが、私は何も国会図書館だけ調べたわけではなく、この時点で、「ああ、そんな著書は存在しないのだな」と思いつつ、常磐大学の図書館を調べたが、もちろん、ない。これも加藤氏に伝えると、では七田谷さんに直接訊いてください、と言ってきたが、別に私はその著書を読みたいわけではなく、加藤さんの思い違いを正していただけなので、それきりになった。