『en-taxi』巻頭の匿名コラムで、クリストファー・イシャウッドの『さらば、ベルリン』を取り上げているのは坪内祐三だろうなあ。
『さらば、ベルリン』のうちの一章「サリー・ボウルズ」を、ジョン・ヴァン=ドゥルーテンが「わたしはカメラ」という戯曲にし(坪内氏はこれを書き落としているが)、それがミュージカル「キャバレー」になり、ついでライザ・ミネリ主演の映画になった。だが、ミュージカルと映画はちょっと違うらしい。今度、『さらば、ベルリン』という映画が公開され、松尾スズキが「キャバレー」を演出するというのでコラムを書こうとしたが、実は『さらば、ベルリン』はイシャウッド原作ではない別物だったという話。イシャウッドの本は、中野好夫訳『ベルリンよ、さらば』として角川文庫から出ていた。なぜ逆になったのか、と坪内は問うているが、別物ならば仕方がない。ではなぜ私は『さらば、ベルリン』と書いているのかといえば、原題が「Goodbye to Berlin」だからである(もっとも、to があるから、『ベルリンよさらば』が正しいとも言える)。上野瞭が、猫たちの物語『ひげよ、さらば』という、ハードボイルド児童文学を書いた時、フランス映画の『友よ、さらば』が念頭にあった、と書いていた。だがこのアラン・ドロン主演の映画の邦題は『さらば友よ』であった。
サリー・ボウルズについては、一冊の研究書さえ書かれている。
Divine decadence : fascism, female spectacle, and the makings of Sally Bowles / Linda Mizejewski Princeton, N.J. : Princeton University Press, c1992.
ところで、「キャバレー」に着想を得て、これを戦前の大連に置き換えた和製ミュージカルが、「洪水の前」である。この題名は、アンドレ・カイヤットの映画の邦題と同じだが、この映画は不良少年少女を描いたものだ。さて前者は、矢代静一・藤田敏雄作で、1981年、紀伊国屋ホールで初演、作曲はいずみたく、主演は秋川リサで、前進座の松浦豊和、老け役で知られる笹野高史が、恋をする青年役で好演していて、さらに財津一郎の一人三役くらいの怪演がすばらしく、私は当時NHKの放送で観て以来のファンである。その後、別のキャストで再演もされたが、秋川リサや財津があまりにはまり役だったので、他の俳優ではうまく行くまい。これは数年前にNHK衛星放送の扇田昭彦の番組で再放送されたが、残念ながら、これは完全版ではない。というのも、初演当時、完全版をラジオ放送したからで、私はこれも聴いて録音してある。確かこのビデオは、98年に阪大の大学院ゼミで院生に観せたから、古後奈緒子さんも観たはず。
で、実はこれは比較文学の論文にしようと思っていたのだが、別にそれ以上のことが出てきそうもないので放ってある。
何だか、私のほうがコラムが書けそうだ。