音楽には物語がある(61)映画音楽の「巨匠」 「中央公論」1月号

 映画音楽の作曲家として知られるエンニオ・モリコーネ(1928-2020)のドキュメンタリー「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を観ていたら、どうも居心地が良くなかった。色々な人がモリコーネについてコメントするのだが、最大級の絶賛の言葉を次々と並べられるとげんなりする。裏面を描く映画ではないし、死んだばかりならみなカメラを向けられればそういうことを言うのだから、適宜カットすべきだったろう。

 もちろん、モリコーネが作曲した映画音楽はふんだんに流れるし、優れた音楽家だということは分かるのだが、最後になって、実はモリコーネが作曲した映画が、私の嫌いな映画ばかりだということに気づいた。モリコーネは日本の大河ドラマでも、「武蔵 MUSASHI」の主題曲を作っているが、これは歴代大河のワーストというに近いひどい出来だった。

 モリコーネは、「荒野の用心棒」のようなマカロニ・ウェスタンの音楽で名をあげた作曲家なので、代表作には「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」や「ヘイトフル・エイト」などの暴力映画が並ぶが、私はこの10年ほどで気付いたのだが、暴力映画が嫌いであり、やくざ映画やマフィア映画も嫌いなので、おのずとモリコーネ作曲の映画が嫌いだということになる。

 しかしシネフィルなどと最近は言われる映画好きというのは、むやみと暴力映画ややくざ映画が好きなので、私のように「サウンド・オブ・ミュージック」や「ドリトル先生不思議な旅」が好きな人間は、片隅で小さくなっているしかない。

 ところで、モリコーネは別にして、映画音楽の巨匠といったら誰なのか、考えると難しい。ニーノ・ロータだろうと言う人が多いだろうが、私は「太陽がいっぱい」とか「ゴッドファーザー」とか、映画も曲も好みではないし、フェリーニをそれほどいい監督とは思っていない。日本なら伊福部昭とか佐藤勝とかがいるし、広く劇伴音楽も作る冨田勲久石譲池辺晋一郎などが思い浮かぶが、西洋の映画やテレビドラマの音楽家では、ジョン・ウィリアムズヘンリー・マンシーニなどいることはいるのだが、私の好きな映画で調べると、「鷲は舞いおりた」がラロ・シフリン、「ドリトル先生不思議な旅」はライオネル・ニューマンほか、「風と共に去りぬ」はマックス・スタイナーといった具合で、「サウンド・オブ・ミュージック」や「エビータ」のような、ミュージカルを映画にしたものなら、当然音楽はリチャード・ロジャースオスカー・ハマースタイン2世とか、アンドリュー・ロイド・ウェッバーだが、それ以外では、映画音楽の作曲家というのは、わりあいまちまちなのである。

 私個人の、映画への好みを措いて考えると、「史上最大の作戦」「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」の作曲者モーリス・ジャールが、やや古い映画音楽の巨匠ということになるだろうが、何だかモーリス・ベジャールの言い間違いのようだし、それほど有名ではない。もっとも先のラロ・シフリンもその世界では知られているようだし、もちろんその世界では有名な人なのだろう。そういえばテーマ音楽が有名な「ロッキー」の作曲者はビル・コンティである。

 映画音楽は、いかに音楽が優れていても、映画自体が評価されないと知られにくいので、作曲家自体が有名になることはあまりなく、むしろあまりに監督の名前がクローズアップされすぎだろう。対してオペラは作曲家のものだと思われているから、リブレッティストの名前は、ダ・ポンテやシカネーダーくらいにならないと知られない。ジャンルごとに、スポットライトが当たる役割は違うという例だろう。