尾崎翠のような昔の作家を掘り出すとか、佐藤泰志のような死んだ作家を再評価するとかいうことがあるが、文学者で没後評価されたといえば、メルヴィルやスタンダールだろうが、クラシック音楽ではヨハン・セバスティアン・バッハというのが「忘れられていた」作曲家としては大きい。一八三〇年代にメンデルスゾーンが発掘してから、大作曲家として知られるようになったのである。
もっとも、バッハは教会に付属する仕事をしていて、宗教音楽と世俗音楽の両方をやっており、世俗音楽は一般には知られず、教会音楽はすでにヘンデルなどの世俗音楽とは別のものと見られていたから、バッハが没後忘れられたことにも必然性はあるし、存命中にも「時代遅れ」と言われていたのである。
しかし私にも、バッハを忘れていた当時の人の気持ちは分かる。モーツァルトやベートーヴェン、メンデルスゾーンなどという華々しい古典派、ロマン派の天才たちがいる中でバッハを虚心に聴いたら、私だって、ああひと昔前の宗教音楽ね、と思ってしまっただろう。「アルビノーニのアダージョ」だって、向田邦子の「あ・うん」のテーマに使われたから知ってはいるが、そうであっても特に好きな曲とはいえない。とはいえこれは一九五八年にレモ・ジャゾットというイタリアの作曲家が十八世紀のアルビノーニの作品の断片を使って作ったと称して発売したもので、だが実際にはアルビノーニの素材は使われていない偽作だというから油断はならない。
多くの家族を抱えたバッハが、ザクセン選帝侯から宮廷音楽家の称号をもらえば仕事がやりやすくなるだろうと努力するさまは涙ぐましい。バッハが活動したのは、ドイツが東西に分かれていた時代の東ドイツで、最後の二十七年は、ライプツィヒの聖トマス教会のカントルの職にあった。カントルとは、教会で演奏される音楽の全責任と、協会附属のトマス学校の生徒たちの教育を行うという仕事だった。
私はこのバッハの伝記を、ひのまどかの『忘れられていた巨人 バッハ物語』(リブリオ出版)で読んだのだが、ひのは本名を桜井尚子といい、東京芸大器楽科を出た音楽家だが、ある時期から文筆に転じ、このほかチャイコフスキーやハイドン、ロシヤ五人組など多くの音楽家の伝記を書いている。小学校高学年から中学生向けくらいの書き方で、変なところにひらがなが入っていたりするし、ですます体だし、それまでに書かれた伝記を参考に書いているから特に新事実があるのでもなさそうだが、読んでいて分かりやすく、ほかの作曲家伝記より読みやすい。特にフランス人など本国人が書いた音楽家伝記の翻訳は、音楽学的な解説が入り込むこともあって理解困難な域に達することもある。『ベルリオーズ回想録』など、ジョージ・スタイナーが絶賛したというから期待して読んだが、朦朧体で記述してあるから、何を言ってるんだかさっぱり分からなかった。
伝記を書く際のオリジナリティというのは厄介な問題で、どうで前に書いた人がいたら参考にしなければならないし、参考文献を記載しておいても、「俺が調べたことだ」と恨みに思う人もいる。結局、歴史とか伝記というのは、最初に調べた人の恨みをかうことを覚悟して書かなければならないものだが、その点ひのまどかの音楽家伝記は、いさぎよく、中学生向けであるせいもあるが、分かりやすいしポイントを押さえてある。ハイドン伝で、作品には藝術作品と使い捨て作品があるなどという視点もいいし、音楽家伝記ならひのまどか、と私は思っている。最近一部がヤマハから復刊しており、より評価されるようになったら嬉しい。