小説内小説

「劇中劇」のように、小説の中に小説があるということがある。推理小説などでもあるが、それはまあ仕掛けだからいいとして、優れた小説が入っているという想定で小説が入っていると、これはなかなか厄介だ。

 松本清張の「天才画の女」は、天才画家が現れたという小説だが、これをNHKでは竹下景子主演でドラマ化した。すると、「天才による絵」の現物を見せなければならなくなる。だがこれについては、NHKはいかにも天才による絵風のものを作るのに成功した。まあ、絵に詳しい人が見たらどうだか知らないが。

 あとは優れた音楽が演奏されることがある。やはり清張の「砂の器」では天才作曲家・和賀英了の曲という体でピアノ協奏曲「宿命」が流れるのが、野村芳太郎の映画で有名である。この曲は菅野光亮という作曲家が作り、世間では評価が高いが、私には凡作としか思えない。この小説自体、ハンセン病の親子の放浪の場面のおかげで名作扱いされているが、原作はそう大したものではないし殺人の説得力は弱い。

 丸谷才一の『輝く日の宮』の冒頭には、主人公である国文学者の女性が高校生の時に書いたという想定の、泉鏡花風の小説が置いてある。これの効果もあって同作は泉鏡花賞を受賞した。割とこの「鏡花風小説」は評判が良かったのだが、私には鏡花とは似ても似つかない失敗作に思えた。

 あと筒井康隆の『文学部唯野教授』にも、芥兀賞をとる唯野仁の小説の一節が出てくる。編集者は読み上げて感嘆している。いかにも純文学短編の書き出しらしく書いてはあるが、編集者が感嘆するレベルでは全然ない。かくのごとく、小説内で優れた小説を書くのは難しいことである。

小谷野敦