http://blogs.yahoo.co.jp/vraifleurbleu39/36704814.html
山下晴代さんは昔から、私の私小説の定義を認めないと言っているのだが、では山下さんはどう定義するのかということを一向に言ってくれない。今回「小林秀雄派」などと言い出したが、小林の「私小説論」は、イルメラ=日地谷・キルシュネライトがもう二十数年前に「論理的に読めない」と言っているもので、私もそうだと思う。だからどういう意味で小林秀雄派だなどと言っているのか説明してもらいたいのである。
(小谷野敦)
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人に教えられて、鈴木孝夫の『私は、こう考えるのだが。』を図書館で借りてきた。江藤淳のことが書いてあるというのだ。鈴木は慶大名誉教授で、江藤が学生だったころから教えていた。そして知った江藤、いや江頭について、人格のおかしなところを書いている。ただ、私の知らなかった一面というのはなくて、だいたい江藤というのはこういう人だろう、という範囲内である。
だが一つ、石川忠雄としては文学部へ迎えるつもりだったが、打診してみたら思わしくなく、江藤は文学部へ行くつもりでいて、SFCでは不満で、それでもなぜか東工大を飛び出して客員教授になったというあたりは、推測通りではあったが補強材料にはなった。
しかしここで疑問なのは、石川も江藤も、文学部のどこに入る(入れる)つもりだったのかということで、まさか、英文科?!
江藤の業績は、とても英文科で受け入れられるはずのものではない。平川祐弘がイタリア文学科の教授になるならまだ分かるが、まさかあの、テニスンをちょっとかじった程度の博士論文で英文科教授になれると思っていたのか?