私は積極的には「文藝評論家」と名のらないのだが、これは、新聞の文藝時評もやったことがなければ、『文學界』以外の文藝雑誌に一文字たりとも書かせてもらったことがないからである。
文藝評論家というものの地位が定まるのは戦後のことで、そのメルクマールとなるのは、新聞の文藝時評を担当する、文学賞をもらう、選考委員をやる、といったあたりか。
小林秀雄、中村光夫、平野謙、河上徹太郎、山本健吉、川村二郎、江藤淳、佐伯彰一、柄谷行人、菅野昭正、加藤典洋、川村湊といったあたりは、このへんをまんべんなくこなした文藝評論家である。対して吉本隆明は、晩年に小林秀雄賞をとるまで、文学賞とはほぼ無縁、新聞の文藝時評もやったことがない。
蓮實重彦は、文学賞はとっているし朝日新聞の文藝時評もやったが、継続的に文学賞の選考委員をやったことはない。すが秀実、渡部直己となると、文学賞をとったことがない。
福田和也は文学賞、および選考委員はしているが、新聞の文藝時評はなく、坪内祐三はかろうじて講談社エッセイ賞だけもらい、選考委員をしている。今の「円満型」文藝評論家は、沼野充義と松浦寿輝か。しかし松浦は作家でもある。
つまり「外される」文藝評論家というのが出てきたので、私もその一人であろうか。斎藤美奈子も外されるのかと思っていたが、小林秀雄賞をとり、朝日の文藝時評をやって円満型になった。その間、田中和生などという、妙な人が出てきて一瞬だけ栄え、ただ毎日の文藝時評だけが残っている。あと安藤礼二という人も妙に円満型な人だが、これはまあ、人をけなさないからであろう。
磯田光一は死ぬのが早すぎたし、高橋英夫は学者として不遇だった割に藝術院会員だし、三浦雅士もいつの間にか藝術院である。江藤淳のように、作家や作品をばんばん批判するような文藝評論家は、今では存在を許されなくなったのである。