(断片・番外)

 イプセンの戯曲の一つの題名を名前にしてツイッターにいたやつ、と言えば分かる人は分かるだろう。あとで述べる理由から、L君としておいてやろう。こいつが私の周囲をうろちょろし始めたのは、昨年の六月ころだったかな。やたらと人に議論をふっかけては、喧嘩したりしていた。無視する人もいたが、私と中川右介さんは返事をしたというので、評価していた。その後、七月に東京堂で中川さんや松本尚久さんとトークショーをした時に来ていて、江守徹は先代幸四郎の隠し子じゃないかなんてことを質問していたが、それが初対面だ。若いやつかと思ったら四十過ぎで、頭には白髪もいくらかあった。
 それが秋ごろから猫塾へ来るようになったんだが、マーチ大学の法学部卒で、独身者。驚いたのはツイッターを携帯からやっていて、猫塾での連絡のためにPCアドレスが要ると言ったら、自分はパソコンをやらないからと、母親のメルアドを教えてきた。あとで、なんでパソコンをやらないんだと訊いたら、いろいろ薄汚い世界だから、と言うのだが、それでいて本人がツイッターで常軌を逸した人へのからみ方をしているんだからおかしな話だ。
 秋になって私は『悲望』の朗読会をやったのだが、ちょうどそのころ、こいつが「ノイエホイエ」と喧嘩を始めた。L君、なんだか、戦国武士か何かのような命を懸けた論戦がしてみたいとか気負っていて、ノイエホイエに実際に会ったものの、本人によると「相手はまるでやくざもん」で、脅されてたちまちビビって、ツイッターで謝罪していた。私が、だらしがない、と言うと、そのうちまたノイエホイエを罵倒し始めた。なんでも、面会した時に会話を録音されたとか言っていて、あれを公開されたら俺は会社はクビだ、とかいうのだが、どうやって公開すると思っていたのか、いまだに分からないし、どのみちその時名乗らなかったというし、なんで会社をクビになるのか分からない。
 高校の時にもいたんだ、こんなやつ。弱いのにある時いきなり、俺は強いんだとか言い出して、クラス一の悪童につっかかっていき、ちょっとこづかれたら泣き出しそうになりながら強がっていた。あれと同じだが、それを四十過ぎてやっているんだからひどい。
 ノイエホイエは、こいつがぎゃんぎゃん言うのを黙って放置しておいてから、謝罪しなければ警察へ告訴状か被害届を出す、と言い出した。するとL君、再度たちまちびびって、「どうしましょう」と言ってくるから、電話して、謝罪しろ、と言った。謝罪したのだがノイエホイエは許さず、被害届を目黒署に出した、と言ってきた。真っ青になったL君だが、私がよく見ると、「告訴状」じゃなくて「被害届」になっているから、こんなのは大したことじゃない(もっともこいつ、ノイエに名前を知られたのか、そうでなければ告訴状は出せないだろう)。自分で目黒署へ行って相談してこい、と言ったらすぐ行って、もうツイッターとかウェブは見ないように、とアドバイスされてきた。法学部卒とは思えない間抜けさである。私は一応知り合いだからノイエホイエを非難していた。
 その時こいつが、
 「いやー先生って肚座ってますね。見る目が変わりました」
 と二度ほど言ったのだが、それ、要するに、
 (今までバカにしてた……)
 ってことだよな。ふつう、四十過ぎたらそういう言葉を人がどう受け止めるかくらい分かるだろうに。
 実に饒舌な男で、何やら鎌倉時代の歴史に詳しいらしく、いっぱしの学者気取りで話す。こいつが出た大学の、私も知っている教授が、女子学生に「彼はああやってしゃべっていないと自分を保てないかわいそうな子なんだよ」と言った、というのを、なぜか本人が言っていた。猫塾では、一時間目の文学だけとっていたが、二時間目の英語は、勧めたが出なかった。とにかくプライドの高い男だったから、英語ができないのがばれるのが嫌だったのだろう。それはいいのだが、一時間目と二時間目の間の休憩が十分で、私らは外の喫煙所へ行くのだが、そこで私をつかまえてべらべらべらべらとしゃべる。「大した話じゃないから今言いますけど」と言うのだが、時には次の授業時間に食い込んだりしたから、注意したこともあった。
 それに、キリスト教徒だとか言っていて、大澤真幸橋爪大三郎の本を貶していたのだが、キリスト教徒にしてはあちこち喧嘩売っているなあ、と思った。
 さて年末になり、私は小説『遊君姫君』を出すことにしたのだが、その校閲を彼に頼んだ。もちろん、何かお礼をしようと思ったのだが、そう言うと、「いいですよ、本も貰ってるし」と言う。一週間たって持ってきて、大分間違いがありますよなどと言って説明し始めるのだが、いっぺん私が見てから説明してほしいと思った。その際、校閲者として名前を出してもいいか、と訊いたら、うーん、実名は困ります、と言う。ほかの生徒もいたから、「じゃあL君とかね。日本人にはないイニシャルだし」と半ば冗談で言った。すると数日後、「L君にてお願いします」というメールが来た。
 なお小説本文については、貴族が武士を「あずまえびす」とさげすむところを問題にしてきて、元木泰雄軍事貴族という概念があるから、これはない、と言う。何やら京大の元木泰雄を崇拝しているらしく、どうもいっぱしの口を利くのだが、そんなに君が偉いなら学術論文を書くか、大学院でも行ったらどうかね、と言いたいところだった。しまいに、それなら本郷和人さんと話してみるか、と言ったら興奮していたのは、ミーハーである。
 だいたい、匿名批判を批判している私が、ツイッターで匿名でがあがあやっていたこいつを許したのが間違いのもとだったとも言える。その私が、校閲とはいえ「L君に頼んだ」はどうもおかしいし、別にそんなもの、出ても出なくても同じだし、やはりやめよう、とメールしたら、その時は納得していたのだが、一週間ほどして、五つほどの罵倒メールが届いた。「もう頭きました」というタイトルで、「L君」と書いてもらえなかったことがよほど不満だったらしく、私が、清和源氏の歴史なら奥富敬之の本があるね、と言ったのを、「内心バカにしながら聞いてました」とか、その類のことがだいたい四つくらい書いてあったのである。私は平静を装って、何が不満なのか、と訊いたら、「やる気もないことを言うんじゃないってことですよ」と言うのだが、「L君」がなんでそんなに重大事なのか分からない。
 一応話を聞いてから「もう来なくていいよ」というタイトルで、破門だから、というメールを送ったら、大変なことになった。あれくらい言ったらそうなることくらい分からないはずはないのだが、まるで振られた女みたいになって、電話はかかってくるし、メールは次から次へとじゃんじゃん届く。「許してください」とか、「先生がこわいです」とかいうのだが、怖いというのは、自分のことをブログに書かれるんじゃないかと思ったかららしく、翌日には、その恐怖でぼろぼろだと言ってきた。
 私が、あまりしつこいと警察に届けるぞ、と言うと、警察へ行くのはこっちです、と言う。こいつ、警察へ行って、自分のことをこの人にブログに書かれるのが恐ろしいですとでも言うつもりだろうかと思ってひとしきり哄笑した。だいたい、私の本の校閲をしたと名前が出ると会社をクビになるのか? まず普通は誰も気づかないぞ。ベストセラーになるとでも思ったのかね。
 さらに、僕は本当に先生に尽くしてきたんですよ、とか、そうやって冷酷に人を切り捨てる先生が怖いです、と言う。確かにいっぺんコピーを頼んだことはあったが、なんだその捨てられた女みたいな言いぐさは。淵上にまで泣きついて、淵上からもメールが来た。しかし淵上がさすが大人だと思ったのは、次の猫塾で一言もこいつの話をしなかったことである。
 さてL君は、母にも先生のことは話してあって、今度本が出て「L君」で出ると話してしまったと言っていたと言い、母は先生のブログを見ているから、書かれたら母は死んでしまうし、そうなったら自分も生きてはいけない、と言う。そうかね。じゃあ死んでくれ、というところだ。
 うるさいから、分かった分かった、書かないからと言うと、「誓ってください」と言う。どこまで図々しいんだ。とにかくこの時送ってきたメールは、思いついては送りだったから無慮三日間に百通は来ただろう。あんまりうるさいから、これ以上何か言ってくると本当に書くぞ、と言おうとしたが、また脅迫罪とか言われると嫌なので、「やめないと何々するぞと言うと脅迫罪になるので、時に人は、抜き打ちに何かせざるをえなくなる」とブログに書いておいたら、「分かりました」と言って静かになった。
 電話で「確かに僕は傲慢です」などと言っていたが、いや違う。病気だ。人格障害だというほかない。歴史小説を書くとか言っていて、日本史ならどこでも書けますからなどと大口を叩いていたが、電話口で半泣きになって、「もう、文学なんか、いいですやめます」とか言っていた。
 さぞかし周囲の人も手を焼いてきたのだろう。お母さんは本当にかわいそうだが、こいつは死んだほうが最終的には楽になると思う。

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