(断片4)

 さて私はSNS「ミクシィ」もやっていたのだが、その頃は「あしあと」というものがあって、私のところを見に来た者が分かるようになっていた。その中に「アリマキコ」というのがあって、私のところは色々な者が来るのだが、この名は初めてだったので、行ってみたら、これが牧冬子だった。しかも牧は外部ブログもあって、「アリマキコ」の名前であれこれと、ちょっとおかしなことを書いていたのだが、中に「ミスターF」として、明らかに私のことを、当てこすって書いているものがあった。
 こういうのは、人格障害の典型的な症状で、それまで世話になった人に、ちょっとしたきっかけから、鋭い刃を向けるようになるのである。もっとも、鋭いというのはその激しさのことで、内容のことではない。私を不快にさせる材料ならいくらでもあるのだが、それを使おうと思うとしても、牧冬子は、私についてほとんど何も知らないことが、のちだんだんと分かってきた。
 私のように、四十冊以上の本を出し、自分自身のことについても少なからず書いている人間には、時おりこうした、それらにまったく関心を示さないままでいる人というのに遭遇して、虚を突かれることがある。むろん、そのあたりでふいと出会った人が知らなくても驚きはしない。あるいは、インターネットの普及以前なら、たとえ私が過去に出した本のあらましも知らなくても驚かないだろうが、それ以後の現在において、大学院へ行ったというような人が、しかるべき時間的長さをもったやりとりの果てに、そういう無知を示すと、ふわりと空中に無重力状態で放り出されたような気分になる。
 それから、「アリマキコ」のブログのコメント欄での応酬が始まった。ここのコメント欄は承認制だったから、私が、駅まで歩いて行って戻った、ということを書き込むと、それは承認されなかった。そんなに具合の悪いことならなぜ話したのかと思う。業を煮やし、腹を立てた私は、一月末、遂に自身のブログで、ムラヴィンスキーの件は強姦ではない、と書いた。「アリマキコ」のブログのことも書いたが、私が週刊誌記事に関与していることは伏せ、記事の記述が不自然で、友達と一緒にいる時に抱きつかれたあと、いったいその友達はどこへ消えてしまったのか、魔法でムラヴィンスキーが消してしまったのか、と書いた。
 「アリマキコ」で検索すると、すぐにそのブログは分かったから、「天の声」でも大騒ぎとなった。すると牧冬子は、今度はそこに公然と書き込み始めて、私の非を訴え、同情を求め、誰かいい弁護士を紹介してくださいと書いて、自分のメールアドレスまで書き込んだが、そこをクリックすると「maki fuyuko」と自分の名前が出るようになっていたから驚いた。
 「天の声」が、悪口ばかり言っているから、その相手を憎んでいるのだと思うのは間違いで、いわんや本気で牧冬子の味方になると思うのはさらにとんでもない間違いである。「アリマキコ」のブログには、牧冬子が自分で撮った自分の写真も載っていたが、普通、匿名のブログには自分の写真など載せるものではない。それと、いくらかおかしな文章、そして匿名掲示板で弁護士の紹介を頼むという行為のおかげで、牧冬子は天声人たちの嘲笑と翻弄の的となった。牧は別人のふりをして私の悪口を書き込んだが、文体のためにすぐにばれてしまい、嘲笑を浴びた。後で大村壱岐子に聞いたら、牧冬子はこのためにダメージを受けたという。
 しかしその頃、牧冬子には「彼氏」が出来たらしく、そのことをブログ上で嬉しげに公表して、二人で撮った写真などを載せていたが、そうした、自分は幸せだというアピールは、さらなる天声人どもの嘲笑を引き起こした。
 牧冬子は「彼氏」からも、ブログを閉鎖したらどうか、と言われたようだが、頑なにそれを続けた。しかしそれも、春ごろには閉鎖された。どうやら京都の高校の非常勤講師となって、京都へ転居したらしかった。
 しかし今度は、ムラヴィンスキーが週刊誌を訴えてきた。私はその訴状の写しを送ってもらったが、そこには、セックスして数日後の、牧冬子からの「恋文」的なメールの写しも、証拠として附載されており、それで「デート」は牧冬子から誘ったことが分かった。それにしても、八年も前のメールがよく残っていたなと思ったが、やはり本人も後日の証拠のために保存しておいたのだろう。
 それにしても、私は週刊誌の記事は「A子」が「レイプ」だと言っている、という立場で書かれており、それ自体は判断していないと思い、訴えるなら牧冬子のほうにすべきであろうと思ったが、弁護士としては「報道被害」という枠でこれをとらえたいわけで、元学生を訴えるのは外聞が悪いと本人も考えたのだろう。
 しかし「『レイプ』と訴えられた」と見出しにある以上、その言い分は裁判では通らないし、ムラヴィンスキーは、そのセックス直後のメールを記事が出来る前に記者に送っており、それを無視したことは確かで、苦しい裁判になるだろうと思った。私が「強姦ではない」と書いたこともまずかったかなと思ったが、それをムラヴィンスキー側で採用することはないだろう。記者もまた、強姦ではないことは知っているわけで、記事に、ムラヴィンスキーへの「悪意」があったのは確かだった。しかしムラヴィンスキーは、その事件の際には国家公務員であるから、より重い責任を負うはずだが、裁判所は必ずしもそういう判断はしない。